家族に向けてワークショップをやってみた

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那波多目健太

1996年生まれ。東京都出身。環境問題への関心から東北大学では農学を専攻。大学院進学後、休学を決意し環境負荷の少ない農業を実践する㈱坂ノ途中とNPO法人Colorbathで1年間のインターン。2019年度末に大学院を中退。現在、お野菜をオンライン販売する京都発の企業に勤務中。

どうも!
小学生の頃、おじいちゃん先生が言っていた「結局、薬局、郵便局…」という、なんの意味もないギャグは、実は、なんの意味もない「人生」の奥深さを暗に伝えていたのではないかと深読みしているなばためです。
(さすがの人生経験。)

先日、「らしさの大博覧会」と称してColorbath展なるイベントが開催されました。
Colorbath展は、昨年から始まったクローズドイベントなのですが、今年はコロナの影響もあって、2月5日夜から7日夜までの丸2日間とちょっと、完全オンラインで開催されました。

大学生から民間企業の会社員、学校の先生など、Colorbathとかかわりの深いメンバーが、それぞれの「らしさ」を生かしたコンテンツを持ち寄る形式のイベントで、今年は自分もコンテンツを企画させてもらいました。

そして、そのコンテンツをそのまま自分の家族に向けてやってみたので、今日はそれについて書いていきます。

「あたりまえ」の違いに気づく

当然と言えば当然なのですが、、
人の価値観や世界観は、その人が普段属しているコミュニティや仕入れている情報によって形作られます。

Colorbath展の参加者は、これまでColorbathのプロジェクトやイベントに携わってきた人で、「教育」「国際協力」といった分野になじみがあったり、「ライフスタイル」「自分らしさ」みたいなテーマに関心があったりする人たちです。

一方、私の家族はというと、だいぶと違うわけです。
家族の興味・関心を事細かに把握しているわけではないのですが、Colorbathが扱っているテーマに対して、そこまで関心が高くないんじゃないかなと思います。
関心があったとしても、そういったコミュニティに属していたり、積極的に情報を取りに行ったりはしていない気がします。

そんな2つのグループに同じワークショップをやると、当然、

「あれっ?なんか手ごたえが違うぞ??」

となるわけです。

私が企画したコンテンツは、「正解のない問いとの向き合い方」という授業形式のワークショップで、参加者に2種類の問いを提示して、それをもとに考えたり、話し合ったりしてもらうものだったのですが、あとあと家族に聞いてみると、そもそも物事を「正解のない問い」という言葉で認識したことがなかったとのこと。

Colorbath界隈では、この「正解のない問い」というテーマがよく話題に上がるので、参加した人たちは、なんとなくでもこのフレーズを把握してくれてそうだなという感じでした。
(実際は、「よく」ではなく「たまに」なのかもしれないけど、個人的にはインパクトが大きくて、すごくよく出てくる話のように感じている。)

そういうわけで、
自分がいま使っているのはどの「世界」の言語なのか
聞き手の「世界」と自分の「世界」の間にはどれくらいのギャップがあるのか
あたりは、話す前にしっかり整理しておく必要がありそうだなと、結構学びになりました。

人が集まれば「らしさ」は自然と出る

今年のColorbath展のテーマは「らしさ」で、イベントの中には「自分らしさ」を考えるみたいなものもありました。
そのコンテンツの中で印象的だったのが、

「らしさ」は出そうとしたからといって出るものじゃなくて、そこに人が集まれば、自然と出ているもの。

という言葉。

「自分らしさ」を考えるときって、割と自分の強みとか、ポジティブな面にスポットを当てることが多いかなと思うのですが、実際は、強みも弱みも全部ひっくるめてその人らしさだよなーと。

そんな視点で、家族の様子も観察して楽しんでいたわけですが、すると、まあ見事に出ていました、「らしさ」ってやつが。笑

ちょこちょこ突っ込みを入れては、持論を語り、足早に席を立つ、50代半ばの男子生徒。

私が提示した二つの問いを、どちらも問題文を隅から隅まで読んで、くそ真面目に考える50代半ばの女子生徒。

黙って問題を考えていたかと思うと、先生が説明に行き詰まったときには、「要するに…」と、賢さを発揮してくる女子生徒。

そして、生徒に飽きられるほど話が長く、挙句、説明しようとしていたことが自分の頭の中でループして、出口を見つけられなくなる先生。

これが私の家族です。
(最大限の敬意を払って書いてるので、どうか、許してください。ごめんなさい、ありがとうございます。)

なんか、よくわからんけど、「らしさ」ってこういうことなのかなあ、と思いました。笑

「こうあるべき」はあるようでない

最後に、ちょっとだけ、ワークショップの中身についての話をします。

正解のある問いが、「1 + 1 = ?」の類だとして、正解のない問いというのは、「あなたにとって幸せとは?」みたいなものです。

私たちが学校教育の中でふれる問いの多くは、前者です。

学校という比較的閉じられた世界の中では、「正解にいかに早くたどり着けるか」が、この世のすべてのように錯覚してしまう子も少なくないのでは?と、インターンをして初めて「社会」にがっつり入り込んだときに思いました。

それこそ、先生の言うことをしっかり聞いて、テスト勉強もしっかりして、、みたいな生徒の方が、その錯覚に陥りやすいように感じます。

「学校で言われていることがすべてではない」と頭では分かっていても、どうしても10年以上もしっかり教育を受けてくると、「正解を返す考え方(=こうあるべき)」が染みついていて、「正解を創り出す考え方(=こうありたい)」を知らぬ間に押さえつけてしまうことがあるのかなと。

今回のコンテンツは、そんな想いから企画しました。

よーーーく、考えてみてください。

この世の中に「こうあるべき」なんて、一つたりとも存在しないはずです。
自分の身の回りにある「こうあるべき」「こうした方が良い」は、どこかの誰かが、いくつかの判断軸をもとにしたり、しなかったりで何となくつくり上げた、極論、ハリボテのようなもの。

ちょっと言い方が乱暴ですが、「こうあるべき」なんてそれくらい意味のないものなのかなと思います。

そんなふうに考えると、これまでどこか窮屈さを感じていた人も、少しは気楽になれるかもしれません。

そんなことを考えながら生きてます。

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