「公共とは何か」と丸一日向き合う

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那波多目健太

1996年生まれ。東京都出身。環境問題への関心から東北大学では農学を専攻。大学院進学後、休学を決意し環境負荷の少ない農業を実践する㈱坂ノ途中とNPO法人Colorbathで1年間のインターン。2019年度末に大学院を中退。現在、お野菜をオンライン販売する京都発の企業に勤務中。

どうも!
「幸せならてをたたこう」に出てくる「幸せなら態度で示そうよ」というフレーズが、どうしてもやらせにしか感じられないと思っていたのですが、この曲の作詞背景には、どうやら反戦歌としてのメッセージが込められていたことを知って、過去の自分をビンタしてやりたいと思っているなばためです。
作詞秘話についての記事

先日、「公共とコミュニティデザイン あるいは”あそび”についての語らい」という座談会形式のイベントに参加してきました。
京都から淡路島まで、片道約4時間かけてはるばる行ってまいりました。
今日は、そこで感じたことについてです。

はるばる淡路島に出向いたわけ

移動に約8時間かけて、かつ1万円の参加費を払ってまで行きたいと思ったくらいだから、さぞかし立派な理由があるのかと思われるかもしれませんが…
実際は、「淡路島の古民家で語らう」という、いかにもマニアックそうなその雰囲気に魅かれた、というのが正直なところです。

初めて淡路島の古民家のことを知ったのは、今回の主催である藤本遼さんが以前に開催したオンラインイベントでのこと。
その際、
「淡路島に家を借りたから、色々活用していきたい」
という話をされていて、これは、一度行ってみたいぞ、と思っていました。

そこから、現在Colorbathで一緒に活動していて、今回のイベントの共同主催者でもあるなべやんさん(渡辺さん)から声をかけていただき、満を持して上陸。

以上が参加理由。笑

とは言いつつも、昨年度Colorbathインターンに参加したことをきっかけに、「コミュニティ」「教育」みたいなテーマへの関心が高まったのは事実で、これが「淡路島で語る、民族衣装と現代ファッション」みたいなタイトルだったら、たぶん参加してなかったと思います。
(適当に考えたわりにはちょっと面白そう笑)

「公共」がイメージできない

これはイベントのだいぶ終盤になって気づいたことなのですが、いや、もっと早く気付くべきでした。
今回の座談会では、自分の考えが思うように深まっていかないなーという感覚を持っていました。

普段参加するColorbathのイベントのなどでは、もうちょっと自分の体験と紐づけて考えられたり、ほかの人の話していることも容易にイメージできたりするのですが、それがどうもうまくいかない。

座談会に参加した自分以外のメンバーは、

  • 株式会社という立場から「公共」をつくりだしている人
  • コミュニティデザイナーとして、「公共」をデザインしている人
  • 行政の立場から「公共」に関わっている人
  • 大学で「公共」について探求している人

などなど。

みなさん、「公共とはなにか?」というテーマを、日々自分の活動を通して模索されている方々でした。
そりゃそうですよね、イベントタイトルにしっかり「公共」の二文字が入ってるのですから。。

お話を聞いていると、みなさんさすがで、実際に取り組んでいる活動からの気づきや課題、違和感などが出てくる出てくる。
自分はその具体的な事例を聞いて、やっといくつかイメージが湧く、といったような感じ。
(公園のそこかしこにある「〇〇禁止!」の看板の例などは、あ、わかる!ってなりました。)

そんなわけで、もう座談会も終盤というタイミングで、ようやく
日頃の体験や意識の違いによって、一人一人の世界の見え方は大きく変わる
ということに気づかされました。

みなさんに圧倒されっぱなしで、場違いだったかな、という気持ちは少なからずあったのですが、「うまく思考が深まらない」という体験をしたことで、普段自分がみている「世界」がいかに限定的なものかを痛感し、結果的に貴重な経験だったなと思ってます。

「公共」とは何か


日常の中に、当たり前のように提供されている公共サービス。
知らないうちにできていた公園や公共施設。
知らないうちにできていた条例や計画。
お店や建物だってそうかもしれません。いや、サービスも。
そこにはぼんやりとした「誰か(あるいは「みんな」)」のニーズが反映されているかもしれません。けれども、そこに「私」が重なることや、当事者になることは少ないように思います。

Facebookイベントページより引用

これは、今回のイベントで投げかけられた「公共」への問いです。

私は、これまで「公共」と聞くと、なんとなく温度感のないもののように感じていました。
公園にせよ、図書館にせよ、市役所にせよ。
どれもハコモノのイメージが先行していて、これらの言葉にはコミュニティに参加している「ひと」がイメージしづらい感覚がありました。

民主主義的に一番批判を受けない設計になっていて、どれも65点くらいのパッとしない感じ。

公園にある「ボール遊び禁止!」の立て看板も、
マンションの掲示板に貼られている「〇月〇日深夜に、3階の部屋から騒音がするとの報告を受けました。」の貼り紙も。

どちらも、もちろん利用する人のことを考えた結果の施策だとは思うのですが、その「利用する人」というのが、どうものっぺらぼうに思えてしまうような感覚。

主催の藤本さんが口にしていた言葉で、特に印象に残っているのものがあります。

「公共は発生する」

毎年恒例だからとしぶしぶ役割分担をして、なんとなくの義務感でやる行事よりも、誰かの「これやったら面白いかも!」からじわじわと熱を帯びていくイベントの方が、そこに「ひと」を感じられる。

「公共」を「私」の集合体と考えるのであれば、「私」の持つ想いや熱量は「公共」を紡ぎだすために必要不可欠なのだなと。

そういう視点から見ると、「公共」は自分がこれまで漠然とイメージしていた「行政が用意するハコモノ」ではなくなって。
官か民か、はたまた個人か、みたいな垣根すらそもそもぼやけてきて。

「私」が確かに存在してはじめて、公共は発生する。

これまでただの単語として認識していた「公共」に少しは、温度を感じるようになった気がします!
そんなことを考えた淡路島でした。

P.S.
久しぶりにのどかな街並みと海を見て、なんだかすごく心が洗われた気がする。





3 件のコメント

  • どうも、社会人になるのが嫌すぎてちょくちょく熱を出している妹です。
    今回のテーマの「公共」、公共事業がメインの職に就く私としては興味をそそられるものでした。
    仕事をする時にそれを使う”ひと”をイメージしてものづくりができるようになりたいなと感じました。

    年間100本ふぁいと。

    • 真面目なコメントですな笑
      あと50本くらいだから、もう終わりは見えてる。
      確かに、見えてる。
      ブログ、書いた??
      おすすめですよ笑

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