一日一日を大切にする ~実践編~

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那波多目健太

1996年生まれ。東京都出身。環境問題への関心から東北大学では農学を専攻。大学院進学後、休学を決意し環境負荷の少ない農業を実践する㈱坂ノ途中とNPO法人Colorbathで1年間のインターン。2019年度末に大学院を中退。現在、お野菜をオンライン販売する京都発の企業に勤務中。

どうも!
桜の開花よりも少し遅れて、ちょっと長めの冬眠から目覚めたので、2021年中に総記事数100本の達成に向けて、ようやく走り始めたなばためです。
(桜よりも寒さが苦手らしい。そして、とはいえ、まだまだ51本目。。)

前回の記事では、「毎日が特別な日」という、よく聞く言葉に実感を持つには、どんなふうに考えたらよいかについて書きました。

今日はその続編。実践編です。
前の記事に戻るのが面倒な方向けに、「考え方編」をざっくりまとめると

「毎」という漢字には単調な繰り返しのイメージがあるから、「ただ日」にしよう
「特別」の本来の意味は、「ある基準から見た時に特に際立っている」ではなく、
     「一つ一つが確かに判別可能である」

取り留めもない「ただ日」の積み重ねが唯一であり、全てでもある


といった感じです。

それを踏まえて、「じゃあ、具体的にどう行動すれば実感できるの?」という部分を書いてみます。

具体的な行動、「瞑想」「空を見上げる」「選択日記をつける」の3つについて書いてみたいと思います。

瞑想をする

最近、瞑想をはじめました。
ものすごくベタですが、やはり「目の前の一日一日を大切にする」という姿勢には、瞑想というアプローチは最適なように思います。

ただ、瞑想とはいっても、ヨガ教室とかに足しげく通っているわけではなくて、

  • 朝起きて顔を洗った後、
  • 床にあぐらをかいて座り、
  • 5~10分間、目を閉じる。

というのを家でやってます。

我流でやっているので、どこまで正しいやり方かはわかりませんが、、
要は、意識が『目の前の「今」』に集中していればいいはずなので、だいたいこんな感じだろう、でやってます。

やさしく目を閉じて、
鼻から入ってくる空気の流れを感じ、
肌と空気との境界線を感じ、
窓の外で鳴いている鳥の声や車の音に耳を傾ける。
もし、思考が始まってしまっても、無理にかき消そうとはせず、ただ流れ去ってゆくのを見届ける。

「一日一日を大切にするための方法としての瞑想」であることに間違いはないのですが、

「生きていることのありがたさをしっかり噛みしめよう。」
とか、
「目の前で起きていることすべてが素晴らしいんだ。」
とか。

なんというか、そういったキラキラ、前向きな意気込みで、毎日瞑想に励んでいるわけではないです。笑

むしろ、「無」です。
「無」を「無」のまま感じ取ろうとしています。
(正気です。)

厳密には、「感じ取る」もニュアンスがうような気がしていて、「流れてくるものに、ただあたっている」みたいな。

とにかく、

目の前には何もなくて、でも、確かに何かしらがある

を、言語を介さずに体感しようとしてるんです!!
(突然の逆ギレ。)

空を見上げてみる

これもほとんど瞑想と同じですが、少しわかりやすいかなと思うので、簡単に書きます。

毎日、同じ時間に空を見上げる

以上。

別に空じゃなくてもいいのですが、毎日絶対に変化するものを視覚的に捉えれば、繰り返しのような毎日が確かに違っていることに気づけるよね、という発想です。

人工のものは風化するとはいえど、毎日違いがわかるほど変化はしません。

朝起きたら、昨日まで茶色だった机が急にピンクに変わっていた、なんてことはないですし、ランドセルに羽が生えてきたりもしません。
(天使の羽は、目には見えないものです。)

空は、雲ひとつない快晴の日もあれば、土砂降りの日もあり、どんより曇り空の日もあれば、きれいなうろこ雲がかかっている日もある。

もし雲ひとつない快晴の日が続いたら、今度は音や匂いに意識を向けてみる。

「今日は鳥がよく鳴いている」
「雨上がりの後の土の匂いがする」

と。

これも瞑想と同じで、「ささやかな違いがすてき」ではなく、「確かに違っている」という感覚です。
(※このあたりの感覚は、あくまでも個人的にはこれがしっくりくる、というものなので、ご参考程度に。)

「選択日記」をつける

最後に、「選択日記」です。
これは、その日自分が意識的にした「選択」を一日の終りに箇条書するというもの。

選択の中身は何でもよくて、あくまでも、「意識的にできたかどうか」に重きをおきます。

例えば、二度寝や夜食など、あまりポジティブでないことだとしても。
葛藤の末、「二度寝することを選択する」「夜食を取ることを選択する」と、自分で決めてから行動に移していたとしたら、それは日記に書きます。

選択の良し悪しは二の次で、「自分の意志で選択した」という思考の過程を経ている事を大事にしています。

「選択日記」は、自分で自分の人生一つ一つを選択していると日々感じるのには、結構強力なやり方だなと感じています。

嫌でも、毎日「選択」の二文字を目にするので、「それは主体的に選択した?」という問いが脳内にちらつくのです。

一つ一つの選択を主体的にするのはなかなか難しく、気づいたらエネルギーを使わない「なんとなくの選択」に流れてしまう。

それを防止まではできなくとも、一日一日認識し、明日は一個でも意識的な選択を増やそう、となれるのがこの選択日記なのかなと。

今のところ、そんな感じです。
ただ、選択日記は始めてまだ間もないので、今後いろんな形を試してみたいなーと思っているところ。


諸行は、無常です!笑


ではまた。

2 件のコメント

  • 1日1日を確かに違うものとして認識するにあたって、「今日こんな事があった」「こんなことを意識して過ごしてみた」というのも確かに振り返って今日を意識することができるとは思うけれど、「明日という日をどんな風に過ごそうかな」といった感じの、明日っていう未来に想いを馳せる(?)のも明日が今日とは違う「1日である」って事を感じるのにいいなぁとふと。

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