一日一日を大切にする ~考え方編~

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那波多目健太

1996年生まれ。東京都出身。環境問題への関心から東北大学では農学を専攻。大学院進学後、休学を決意し環境負荷の少ない農業を実践する㈱坂ノ途中とNPO法人Colorbathで1年間のインターン。2019年度末に大学院を中退。現在、お野菜をオンライン販売する京都発の企業に勤務中。

どうも!
現代のあらゆる心の病への予防薬として「ユーモア」は強力な味方になると信じて、日々、すべることを恐れず(日々すべりながら)、せっせとおかしなことを言ってみているなばためです。
(なんか最近、沈みがちだわーって人は気軽に連絡ください!たくさんすべります笑)

ユーモア
人の心を和ませるようなおかしみ。上品で、笑いを誘うしゃれ。諧謔(かいぎゃく)。

デジタル大辞泉

今日は、「毎日が特別な日」という言葉に現実味を持たせるためには、こんなアプローチがあるんじゃないの?という話をしたいと思います。

「毎日が特別な日」というフレーズは、割といろんなところで聞く気がするのですが、「そうは言われても…」的な感覚があって。

でも、今日という一日はもう二度とやってこない、は紛れもない事実だと思うので、それを少しでも実感できる方法はないものか、と最近色々と試してるわけです。

それもこれも、全部「君の膵臓を食べたい」という小説の影響です。
読んだことない人は、ぜひ読んでみてください。
これまで24年間、ほとんど小説を読んでこなかったこの私が自信をもってお勧めします!

毎日ではなく「ただ日」

「ただ日」っていうのは、今、自分が勝手につくりました笑

「ただ」は漢字で書くと「唯」で、この字には「取り立てて言うほどの価値・意味がないこと。」という意味があるらしいです。
それと、この字は唯一の「唯」でもあり、「ただ。そのものだけ。それだけ。」という意味も。
実にシンプル!笑

どうして「ただ日」という表現にしたかというと、そもそも「毎日」の「毎」という漢字が、一日一日が確かに違うもの、という感覚を薄れさせるのでは?と思ったからです。

毎日、毎回、毎度、毎晩、毎週、~する毎に、、、

「毎」から連想されるのは、同じものが定期的に繰り返されるというイメージ。

それで、まずはこの「毎」という漢字を取り除こうと、そう考えたのです。

「特別」の意味

ただ、この「唯」という漢字は、「毎日が特別な日」の「特別」の部分とはちょっとかけ離れているような気もします。
「取り立てて言うほどの価値がない」って、一見、全然特別じゃないですよね。笑

個人的な感覚の問題もあるかと思いますが、自分の場合、「特別」と聞くと、なんとなく「一点だけが際立っていて、他よりも突出している」というイメージを持ってしまいます。

例えば、一杯のコーヒー。

あるカフェに、一杯500円のコーヒーが3種類あるとします。
ブラジルのベラビスタ農園、コロンビアのorigen農協、グアテマラのジョヤグランデ農園。
(コーヒーの仕事をしていているので、実際に扱っていてる生産地の名前を書いてみました笑)

ただ、このカフェでは、いま期間限定のスペシャルなコーヒーを提供していて、それが一杯1,000円のイエメンのガーリブさんが作ったコーヒーだとします。
(あ、このコーヒーも実在するもので、いま一緒に働いているイエメン人のタレックさんが頑張ってるやつです!笑 『株式会社Mocha Origins』)

この場合、多くの人が一杯1,000円のイエメンコーヒーを「特別」と捉えるのかなと思います。

どうも「特別」という言葉には、「極めて限定的な基準や判断軸から見て、他のものよりも際立っている」という前提が内包されているように感じるのです。

一方で、実際の「特別」の意味はというと、「他との間に、はっきりした区別があること。」というだけで、“他より”というような比べるニュアンスはあまりないようだし、ある一つの基準に照らし合わせるというような意味もないようです。

一つ一つが、確かに判別可能である

というのが本来の「特別」の意味なんじゃないかなと思います。

「ただ日」が一であり全

ここまで、毎日の「毎」をやめる理由、「特別」という言葉へのイメージと本来の意味とのギャップ、についてを書き連ねながら、「毎日」の代わりに「ただ日」を採用した理由をどう説明するかを考えてきました。
(とりあえず、で筆を走らせてきた。)

もう一度整理すると、「唯」には「取り立てて言うほどの価値がない」「それだけ」という意味があります。

私たちが過ごす日々は、取り立てて言うほどの価値がないのか?

私は、「取り立てて言うほどの」の部分が、今回のみそだと思っていて。
(どの回だよ)

「毎日」が「特別」なのであれば、それって取り立てて言うほどのことじゃないんでね?

と。

あくまでも、「取り立てて言うほどの」価値がないだけで、価値がないとは言っていない。
でも、一日一日をしっかりと意識しないと、怒涛のように過ぎ去る日々を「毎日」として過ごしてしまう。

「ただ日」が一であり全

目の前には、昨日とは確かに違う今日がある。そして、きっと明日もちょっと違う。

今朝の玉子焼きは少し塩辛い。
なんだか今日は水も苦く感じる。
玄関を開けたら、思ったより空気があたたかく湿っていた。
上を見上げればどんより曇り空。
今日は、上司(先生)の機嫌が一日中良くなくて。
天気予報が外れて、帰りには雨に降られてしまった。
あまりいいことがない日だったけど、それでも寝る前に飲んだホットミルクの優しさは体の隅々まで染み渡った。



私は朝ごはんは食べないし、寝る前にホットミルクも飲みませんが、ほんとそういうことなのかなと。

取り留めもない一つ一つの出来事が、唯一であり、全てである。

「繰り返し」は決してない。

と、熱っぽく語っていたら長くなったので、この記事は「考え方編」として、次の記事に、「とはいえ、具体的にどうするねん?」という部分を最近実践していることを踏まえて書こうと思います。

続編に、乞うご期待!笑


P.S.
一杯のコーヒーで例に出した、イエメン人のタレックさん。
日本語ペラペラのとてもおちゃめな方です。
自分の方が年下だし、会社に入ったタイミングも同じなのに「センパイ」「センパイ」と呼んできます。
「なばため」って発音するのが、面倒だからでは?という説もある。

自分の会社Mocha Originsの方は一人でやりくりしていて、最近大変そうなので「今度タダ働きしに行くわ(遊びに行くわ)!」と言ってます。笑

内戦やカート栽培の影響もあって、どうしても価格が高くなってしまうイエメンコーヒー。
でも、モカコーヒー発祥の地なだけあって、味は抜群に良いです。

もしよかったら一度お試しください~

Mocha Origins イエメンコーヒー

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