私のアナザースカイ|解釈をミスるとこんな文章になります。

いやー、どうもみなさま、お久しぶりです。
というか、もはや初めましての方も多い気がしますが、川上です。
2020年度ですね、Colorbathにてインターンをしておりました者です。
以後、お見知り置きを。

ということで、Osmosis Lifeでブログを書くのはいつぶりだろうかという感じでございますが、折角ブログリレーのお話を頂いたわけでございますので、まあ徒然なるままに筆を執ってみようじゃあないかという感じでございます。

つまらない内容になるかもしれませんが、よろしゅう頼んます。

いざ。

アナザースカイとは

で、テーマをどうしようかと考えていたわけですが、何かの試験の二者択一問題のように既にテーマが2つ決められており、どちらか選んで書いてね☆という感じだったので、私は「ここが、私のアナザースカイ」の方のテーマで書いてみようと思います。

アナザースカイと聞けば、某テレビジョンの影響で、自分のルーツやターニングポイントという和製英語のイメージがあるわけですが、川上にはそんな大それたものはございませんので、アナザースカイという言葉を拡大解釈して、ちょっと違ったように見えた景色について書いてみようかなと思います。

僕は現在、社会人1年目で、大阪にて忙しなく暮らしております。
大きくて高いビルに囲まれ、外に出ない限りは日光と接触すらできないというような環境で仕事をしております。
するとですね、心がすり減るのか、人間の動物的な本能なのか、自然が恋しくなるわけですね。
それでよく、週末に実家に帰ったりする時は、1時間程、山というか川というか渓流のような場所でのんびり過ごすようになりました。
あ、実家が超田舎ということです。

そこにはこれまで何度も足を運んだことがあったのですが、何故かその見慣れた景色がまるで違ったように見え始めたのです。

世界は心の鏡なのかもしれない

では、何がどんな風に違って見えたのか。

それは、ボキッと折れて横たわっている大木です。

僕がよく行く例の渓流には、しっかりと立って生えている木もあれば、腐ったのか風で倒されたのか原因は知りませんが、ぶっ倒れている木があります。
あ、僕が座れるくらいの、結構太めなやつですよ。
(ちなみに僕は人間で、身長172cm、体重56kgです)
そこに、苔がいい感じに生えたりしていて、なんともいとをかしな景色を作り出しています。
(例えるなら、もののけ姫の世界観)
これまでは、「ほう、ええ感じやん、映えるやん、ナイスー」くらいにしか思っていなかったわけですが、ここ最近は全く違ったようにその景色を見るようになりました。

ぼーっとその木を眺めていると、何かがチョロチョロ動いているわけですね。
「なんやあれ」と思って近くまで行くと、カナヘビの親子がその木の上を移動していたんです。
その時ふと、「あ、折れた木にも役割ってちゃんとあるんや」と思いました。

その倒木は、ちょうど岩と岩の間に横たわっていて、人間界で言うところの橋のような役割をしていたんです。
あの倒木がなければ、あのせっせと移動していたカナヘビ親子は向かいの岩に辿り着くまで超絶回り道をするか、川に流されて御陀仏といったことになっていたのではないかと思います。
つまり、例の倒れた大きめな木は、腐っても、折れても、カナヘビのためにはなっていたわけです。

こんな風に思ったのは、きっと自分がこの2年半程、生きているのか死んでいるのかよく分からない精神状態で日々を過ごしているからではないかと思います。
もはや今となっては、いつからこんなことになったのか、原因が何なのかもよくわかりません。
自分の心を論理的に分析しようと試みましたが、どうも知恵の輪のように複雑に絡み合っていて、そう簡単に紐解けるものではありませんでした。
そう、僕もこの倒木のように、しっかりと立って生きれているというよりは、ポキっと折れて倒れてしまっているような感覚に近いのです。

だから、きっとただ横たわっていてる大木がそんな風に見えたのではないかと思います。
ただ、僕はその倒木に価値があるように見えたんです。
それは、こんなフラフラとしている情けない自分自身にも、「こんな自分だからこそ分かることもある、役に立つことだってある」と信じたいからではないかと思うのです。
というかそうであって欲しい。
そうじゃないと割と辛い。

とまあ、こんな風に、これまで見てきた景色が違ったように見えた川上的アナザースカイの経験をしたわけですが、この経験を通して思ったのは、自分の状況に応じて世界の見え方は変わるのではないかということです。

思い返すと、落ち込んでいる時、いつもなら綺麗だと素直に感じる桜が少し鬱陶しく感じて、日陰にポツンと咲くスミレが綺麗だなと感じたり、元気な時、だるいなーと感じる曇り空が、しんどい時には少し落ち着くように感じたり、そんな経験を数多くしてきました。

つまり、この世界の景色は、自分の心が映し出される鏡のようなものなのではないかと思うのです。
同じ景色を見たとしても、美しく感じる時もあれば、醜く感じる時もある。
なので、自分がこの世界を、社会をどのように見ているのかということを自身で捉えることが、自分自身のことを知る1つのきっかけとなるのではないかと感じるのです。

僕の場合は、踠きながらもなんだかんだ前を向いて頑張ろうとしているのかな、と倒木の捉え方から感じました。
えらいよ川上少年、君はえらい。

はい。

まとめ的なやつ

まあ、あながち冗談でもない冗談はさておき、僕にはそんな風に世界が見えています。
皆さんにはこの世界がどんな風に見えているのでしょうか?
何か壁にぶつかって落ち込んでいる時、物事が驚くように順調に進んでいる時、どんな時にもふっと一瞬立ち止まって、世界の見え方を確かめてみる。
そうすることで、今の自分が客観的にわかり、進みたい方向が見えたりするのではないでしょうか。

ちなみにこの適当な仮説を裏に返すと、この世界の見え方は自分次第でどうにでも変えられる、ということも言えるのではないかと思います。
まあ、それってめちゃくちゃ難しいと思うんですけどね。
ただ、この苦難の連続にしか思えないような人生を楽しく自分らしく生きていくためには、そういった心構えも大事だったりするのかななどと、23歳の若造は思ったりしています。

ちょっと終わらせ方がよく分からなくなりましたので、この辺で無理やり終わらせようかなと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
そんなあなた、明日いいことあるよ。ハハ