お金のもらい方

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1985年生。早稲田大学国際教養学部、米国Portland State Universityにて文化人類学専攻。 新卒でベネッセに入社。学校教育コンサルティングに関わる。新しい働き方・学び方創りに関わり、社外の活動としてスポーツ、キャリア教育、地方創生、途上国支援など複数のNPO、NGOの立ち上げに関わる。 世界経済フォーラム(ダボス会議)Global Shapers Communityメンバー。関西学院大学非常勤講師。

こんにちは、Colorbath吉川です。

先日、「誰も教えてくれないお金の授業」というColorbathカレッジも開催し、自分としてもお金について勉強を始めているところです。

YouTubeとか結構みるんですが、オリラジあっちゃんのYouTube大学とかでも「お金」についての動画とかも多く投稿されていて、見られた方もいらっしゃるかもしれません。キンコン西野さんも、「お金について勉強したほうが良い」的なお話をよくされていて、それって大事だよなー、と最近思いつつ、本を読んだり勉強したり、ぼちぼちとし始めている今日このごろです。
(最近の情報源は、このお二人が多い…)

みなさんは、お金についての勉強ってされていますか?
なんとなくのイメージできている方もいらっしゃれば、結構細かく調べたり人に聞いたりしている人もいるかもしれません。友人同士であまり話をしないテーマだとも思うので、周りの人がお金についてどんなふうに勉強しているのかって、あまりわからないですよね。

というか、お金をどう捉えているか、についても、あんまりわからないですよね。分かりやすいのは、「使い方」でしょうか。

旅行とかしたときが、分かりやすいかもしれません。結構節約するタイプの人だったり、欲しいものはばんばん買っていく人、いろんなタイプがいるかもしれません。

今回は、そんなお金について最近よくみえるものについて、書いていきたいと思います。

「売上は、全額寄付されます」

こういったこと言葉が、自分的には最近、よく目に入ってくるようになりました。以前よりも増えているのかどうかはわかりませんが、おそらく私自身が意識もしているから、よく「みえる」ようになってきたんだと思います。

メモ

脳は、意識したものを捉えるようになっていて、それを「Colorbath効果」と言います。

オンラインのイベントであったり、特産品の食べ物であったり、雑貨であったり。クラウドファンディングが広がってきたことも、何かしら影響しているのかもしれません。

支払ったお金が、その人(生産者/販売者/主催者)の懐にはいるのではなく、そのお金が社会的に良いことに使われるかどうか、このあたりが重要になってきている、そんなふうに感じます。

以前から、「寄付をしても、しっかり使われるかわからない」という思いで寄付に前向きでない人もいると思います。寄付したものが、しっかり使われてほしい、という思いは、純粋に大切で、そうあるべきだと思います。

そして、どうせお金を払うなら、そのお金が社会的に良いものに使われてほしい、という気持ちもすごく大切で、そういったお金の使い方は、社会のために頑張っている人を応援することになり、支援が循環していくことにもなると思います。

基本、良いことも多いですよね、そう思います。

一方で、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。

お金を払う側の論理

上で書いてきたのは、「お金を払う側・寄付をする側」の気持ちとしては、理解できるし、大切ですよね。

一方で、お金を受け取る方のことを考えてみたいと思います。社会的な活動に取り組んだり、お客さんが喜ぶサービスをするためには、お金が必要です。続けていくためには、続けていくための資金が必要です。

続けていくだけの資金があるからこそサービスが提供できて、そのおかげで私たちはいろんな品質の良いサービスを受けることができています。

「あそこは売上を全額寄付しているのに、こっちはそうじゃないみたい」みたいな風潮になっていったときに、良いことも、良くないこともありそうな気がしました。お金をもらうこと、利益を出すこと、それ自体は悪ではありません。

よく言われるところでいうと、例えばNPO法人も利益を出すことはもちろんOKですし、納税もしています。利益を出すこと=悪ではなく、最終的にはその使い方、が大切なんだと思います。

払う側の論理が強くなりすぎことも、少し懸念があるよなー、そんなことを感じているというお話です。

教育というサービス

こういったことは、「教育」にも似ている部分があるのかなと思っています。「より良い教育を受けたい」、「先生にはいろんなことを教えてほしいし、ときに厳しく叱ってほしいし、できたことは褒めてほしい」。いろんな期待が、学校に寄せられていると思います。

加えて、税金や学費を払い、「どの学校に行くか」をある程度自由に選択できるような時代になってきています。その結果、教育というサービスを提供する側、受ける側、という構図も、以前よりは強くなってきているのかなと思います。

お金を払う側が強くなってきて、本質的な教育活動に加えて、サービスの満足度も満たしていかないといけない、という状況。これはこれで、きっと良いこともたくさんあるんですが、行き過ぎた場合、やっぱり心配です。

お金を払う側の論理、によって、お金を受け取る側の行動を変えることは可能だと思います。この意味で、購買はメッセージであり、投票にも通ずるものがあります。お金をもらう側は、払う側の論理によってブラッシュアップされ、より質が上がっていきます。

払う側の欲求を短期的に満たすもの、しかサービスとして普及しないとしたら、時間のかかる教育という現場にとっては、難しい時代になっていくのかもしれません。

ということで、今日は、お金のもらい方、払い方についてちょっと考えてみました。一生懸命質の高いサービスを提供するには、時間もスキルも必要で、その人に対して見合った対価が払われるような社会も、すごく大切だなと思いました。

ではまた。

おずもっ!

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