8月6日

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那波多目健太

1996年生まれ。東京都出身。環境問題への関心から東北大学では農学を専攻。大学院進学後、休学を決意し環境負荷の少ない農業を実践する㈱坂ノ途中とNPO法人Colorbathで1年間のインターン。2019年度末に大学院を中退。現在、お野菜をオンライン販売する京都発の企業に勤務中。

こんにちは!
社会人になってから、時間の流れが一気に加速したように感じているなばためんです。

毎月、月末には在庫の棚卸作業があるのですが、その仕事がやってくる度に、

「あれ、もう今月終わり?」

ってなってます。

平日は仕事をして、休日はプロボノという感じなので、ほとんどずっとどちらかのことを考えてるなーって感じです。
(そして、次の日の朝がやってくる。。)

まあちょっと大げさに書きましたが、4月から怒涛のように4ヶ月が過ぎ去ったなという感じはしてます。

そんな怒涛の日々の中で、本日、8月6日がもう終わるかという頃に、

「あ、そういえば今日って広島に原爆が投下された日だった」

ということを思い出したので、その勢いのままに筆を走らせます。

多くの悲しみが生まれるという変わらない事実

戦争については、場所や時代を問わずいろいろな議論が交わされます。

「建前上はこう、でも実はこんな思惑があった。」
「知らず知らずのうちに、誘導されていた。」
「宗教間の対立を利用した。」

などなど。
具体例がかなり抽象的ですみません。。

正直、どの言い分が正しいかとかは自分にはよくわかりません。
納得できる主張があったとしても、

「まあ、そういう狙いとかもあるだろうね~」

くらいの感覚で聞いてます。

戦争の裏には、常に「利権」や「損得」がまとわりついているのは事実だと思うので、おそらく陰謀や戦略に関する議論は的を得ているのかなと思います。
それゆえ、不可抗力だの、問題は複雑に絡み合っているだの、難しくとらえられがちな部分も多いのかなと。

ですが、もっとシンプルに、戦争は例外なく多くの悲しみを生みます。
そして、自然災害とは違って、末端では必ず誰かと誰かの傷つけ合いが行われます。

吐き気を催しながら、毎晩、悪夢を見ながら、

こみあげてくる、生まれてから一度も味わったことのないような感情を押し殺して、

自分が生き残るために毎日誰かを殺し続ける。

違った出会い方をしていたら、きっと友人になったであろう誰かを。


立ち止まって、想いを馳せることの意味

「戦争は多くの悲しみを生む」

いやー、我ながらかすかな濁りもないほどのきれいごとですね笑。

誰でも知ってまーす。
言われなくても分かってまーす。

でも、たまに立ち止まってきちんと自分の頭で考えないと、知らぬ間に誰かを傷つけることもあります。
自分の半径数メートル以内しか見てないと、気づかぬうちにその外側がみえなくなります。

年に一度の黙祷。
これにどこまで戦争を抑止する力があるのかはわかりません。
ただ、年に一度のこの日が、立ち止まるきっかけをくれるのは確かです。

遠くに想いを馳せる、想像力を。

そんなビジョンを持ったチームではたらく自分が、一番気にしなくてはならないことじゃないか、とやや反省気味です。

でも、忘れたまま過ぎ去らなくてよかった。

毎日笑って過ごせることに感謝して、明日を迎えよう。
そう思わせてくれる、あの日から75年の8月6日でした。

(1211字)

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