I am me. vol.4 -サッカー王国静岡-

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1985年生。早稲田大学国際教養学部、米国Portland State Universityにて文化人類学専攻。 新卒でベネッセに入社。学校教育コンサルティングに関わる。新しい働き方・学び方創りに関わり、社外の活動としてスポーツ、キャリア教育、地方創生、途上国支援など複数のNPO、NGOの立ち上げに関わる。 世界経済フォーラム(ダボス会議)Global Shapers Communityメンバー。関西学院大学非常勤講師。

久しぶりの、「帰国の限り、人生を振り返ろう」シリーズ。前回、小学校3年生のときの阪神大震災のことを書いた。

このOsmosis Lifeで、書きたいこととか、発信したいことはたくさんある。何を、誰のために、どんなテイストで書こうか、ノートに書いてはあーだこーだやってきたこの数ヶ月。果たして、自分は誰のために何を発信したいのだろうか、そんなふうにして、自分自身と向き合ってきたような気がする。

そして、結局自分らしい言葉で、自分そのものを伝える機会もなくしてしまったような、そんな気がしている。頑張って、丁寧に、一生懸命書くことは大切だと思う。ただ、やっぱり受け入れたいなと思ったことは、自分は自分以外にはなれないし、自分以上のことは書くことができない、ということ。自分ではないことを自分で書こうとも思っていないし、そういうタイプでもないんだと思う。

しばらく考えて、結局、いまは頭で整理したものをというよりも、指が進むとおりに、自分の心が動く通りに書いている。口調も、これまでのですます調をやめてみた。なんだか、自分の声らしくかけるような気がする。

特に、自分の人生に自分で向き合い振り返り、それをひとつずつ綴っていけたらなと、そんな風に思っている。

春は別れの季節。友達はいらない

具体的には覚えていないが、2月か3月、春を向かえる前のそれくらいの季節。小学生の自分にとっては、毎年嫌な季節だった。極端に、親とも話したくないような季節。振り返れば、そう思う。いわゆるな感じのサラリーマン転勤族の父親は、数年ごとに転勤があり、引っ越しがあった。引っ越すことで友達と別れないといけない、春は別れの季節だった

子どもながら、その転勤から逃れることはできないと、なんとなくそう理解していた。ただ唯一引越しをしなくて済む方法は、父親が単身赴任していくこと。誰と話したり相談したり、自分の考えを訴えたわけでもないが、単身赴任の方がいやだなと思っていたから、いつも何を言うわけでもなく、引っ越しが決まれば受け入れていた。

そんなことがあったので、極端に引っ越しが嫌だと主張もしないし、なんとも思っていないようにつとめて振る舞っていて、自分自身の感情を押し殺していたように思う。

静岡のサッカー少年

小学校5年生、静岡での生活が始まる。それまでは神戸。静岡の静岡市だったが、学校へ行く通学路に田んぼがあることが、当時はすごく新鮮な気持ちになったことを覚えている。別に田舎でもないと、今では思うが、当時は通学路の中ではすごく印象的な田んぼ。

小学生の時は、ものすごく内気で気弱で物静かだった吉川少年。発表はしないし、目立つようなこともしたくない、いるかいないか気づかれないくらいなタイプだったと思う。

唯一、サッカーが楽しく、ずっとやっていた。キャプテン翼ってほんとうにすごいなーと思うけど、ボールが友達、そんな少年だった。

引っ越しは嫌だったけど、かすかに楽しみにしていたのは、静岡のサッカーだった。学校のサッカークラブにすぐ入った。みんな上手だった。まず、練習が違った。(各地域のサッカーはそれぞれ異なると思うので、あくまで個人的な意見だが)

練習は、個人技中心。たしか、水曜日はドリブルとかの個人練習のみだったような気がする。走ったり、ディフェンスとかそういう練習とかはなくて、あくまでボールタッチ、ドリブルの練習。ディフェンダーもキーパーも、みんな同じボールタッチの練習だった。それがすごく楽しく、自分よりも上手な選手(友達)が多かった。静岡は、だから個人技がすごいのか、そう思った。静岡でサッカーをやれば、上手になれる、そう思えたことは心の支えだった。

勉強は、環境

静岡に行ってよかったなと思えることのもう一つ。それは、サッカーをやっている友達が、勉強もできるし学校のリーダーでもある、という環境だった。それまでは、サッカーとかスポーツできる人は、勉強が得意じゃないと言うか、勉強が得意な人はスポーツが不得意、そんな印象を持っていた。静岡は違った。

そもそも、クラスの男子でサッカーをやっている人数がめちゃくちゃ多い、ということも影響しているかもしれない。体育は、ほとんどサッカーだったような気もする。

だから、サッカーやってる友達が、クラスで一番頭が良かったり、学級委員だったり、そういう友達が多かった。自分は勉強はそこまで得意でもないし、やりたいとも思っていなかった。彼らに出会って、「あ、勉強ができるっていうことは良いことなんだ」そう思えた。そこから、頑張るようになった。すごく、この環境に感謝している。

静岡では、小学校5,6年の2年間だけだったけど、みんな個性的で、賢い大学に行った人もいれば、起業している人もいれば、今でもサッカーの仕事をしている人もいる。なんというか、、、みんな自分のやりたいことをやって生きている感じがして、すごくいいなと思っている。

当時、引っ越しは嫌だったけど、こうやっていろんな環境で、いろんな人に出会えたことは、自分の財産だと、いまはすごく思えている。有り難い。

小学校を卒業して、中学。クラブチームとかでサッカーをするのか、どのチームで頑張るか。小学校の強豪クラブのライバルだったような選手が、中学校で同じチームになったりする。練習会も見に行った。すごく気合いが入り、楽しみだった。

でも、静岡の中学校でサッカーをする日はこなかった。卒業してから、東京へ引っ越しすることが決まった。

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