今の働き方、そろそろ限界かもしれません。

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ゆっきー

1995年生。岩手県出身。大学では小学校英語教育を専攻。大学在学中にネパールで1年間インターンシップを経験。現在は、岩手県の高校で英語教員として日々奮闘中。趣味:筋トレ、動画編集、youtube研究

恥ずかしながら教員にも「休憩時間」なるものがあることを知ったのはつい最近のことだ。休憩時間があるだ、ないだという議論をする心の余裕がないほど毎日毎日が時速500kmくらいの速度で進んでいた。

なぜ今更「休憩時間」を知ることになったのか。それは自分の残業時間が過労死ラインすれすれだということを知ってしまったからだ。

まさか、自分は過労死するの?

最近、自分でも変だなと思っていた。家に帰ってオンライン飲み会でストレス発散させるよりもまず、横になって休みたい欲求が先行していた。そして感覚がすごく鈍った。まるでキンキンに冷えた氷水に1時間足を突っ込んでおいた後のような無感覚。以前は面白いなと思っていたことにも「面倒だ」の一言で片付けている自分がいた。

仕事から帰り家でボーとしていたとき、ふと自分の残業時間が気になった。電卓に表示された数字は私の予想をはるかに上回るものだった。そして最近ニュースで目にした「過労死」という言葉が頭をよぎった。

自分が「やばい」状態にいることに気づき、スマホで労働に関する法律などを調べてみた。そしてわかったのだ。教員にも「休憩時間」が存在することを。

さらに調べてみると、私の勤める県の、高等学校教員の12.4%が過労死ラインを超えて残業をしている現状があることを知った。10人に1人は仕事のしすぎで死亡するリスクを抱えながら働いているのだ。おかしい。だがこれが現状だ。

「理解されたい」という欲求

こういう弱音というか現場のリアルは、SNSにかくと生徒にバレたりするからあまり書きたくなかった。それに、国のせいだ!とか文科省や教育委員会が悪いんだ!っていう論調が私はあまり好きではない。自分たちで変えられるところがあるはずなのにすぐ上のせいにするのは自分らしくないし、なんだかかっこ悪い気もする。助けてアピールするのも苦手だ。

一方で、誰かに理解してもらいたい、知ってほしい、共感してほしいという思いも心の何処かにある。今日だってインスタのストーリーに「辛いわー」とか書きたくなったけど堪えた。多分自分一人じゃない、誰かも同じようなことを思っているはずだ。

今日はその「理解されたい欲」がピークに達したらしい。早めに仕事を切り上げて火曜日は絶対行くことにしていたジムにもいかず、今こうして筆を走らせているのだから。

死ぬリスクを抱えてまで仕事をする?

おそらくもっっっっと大変な業務量を抱えている先生方はたくさんいるしむしろ私は少ない方だと思う。それに二年目でわからないことも多いので、余計に時間がかかっているということもあるだろう。

正直、このような働き方をあと四十年することは考えたくない。仕事はすごく好きだし、教員はすごく楽しい。自分に合っているとも思う。でも仕事のしすぎで死ぬリスクを抱えながら働くなんて、専ら御免だ。

多忙に嫌気がさしてやめる先生は多いと聞く。私はもう少しだけ踏ん張ってみようと思う。もしかしたら改善次第で、自分とその周りの人の環境は変えられるかもしれないから。でも本当に命の危険を感じたら、一旦退く勇気も必要だと思う

なんだか言葉が垂れ流れていくままにタイピングしていったので、非常にまとまりのない文章になってしまいました。

働き方。今後真剣に考えていきたい。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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