平等の捉え方

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那波多目健太

食料問題や環境問題への関心から大学では農学を専攻。在学中に参加した途上国での建築ボランティアをきっかけに、国際協力にも興味を持ち始める。しかし、大学・大学院での研究と自分のやりたいこととのギャップに気づき、大学院入学直後という出遅れた感満載なタイミングで休学を決意。現在、持続可能な農業を目指す企業とColorbathでインターンをしながら、自分の将来像について考え中。

Hafa Adai!
みなさん、こんにちは!
ブログ毎日更新18日目です。続いてますね~。

毎日ブログを書くためにネタを探してるわけですが、どんな時に思いつくかなーって考えると、街を歩いてたり、家事をしてたり、シャワーを浴びてたり、そういう時にふと疑問が浮かんできて、考えが膨らんでいくんです。

逆に、パソコンとかスマホに向き合ってるときは、ふとした気づきみたいなのってあまりないような気がします。

ありふれた日常の中で、当たり前と向き合ったり、自分の思考を直観したりすることで、ふとした気づきは生まれるのかな。

今日は、平等ってなんだろ?を掘り下げます。

「平等」という概念

かたよりや差別がなく、みな等しいこと。

デジタル大辞泉

これが、平等の意味。
最近は、多様性が大事!といつでもどこでも言われているような気がしますが、その頭で平等の意味を見返してみると、おやっ?ってなるんです。

多様性の大切さが叫ばれる世の中で、同時に平等の大切さも教育される。

多様性を尊重する中で、何に対して、どの場面で、平等であるべきなのか。

一人一人への接し方を平等にすべき?
収入などの経済的な部分を平等にすべき?
社会福祉サービスを平等にすべき?

ちゃんと考えないと、混乱するし合理的でない平等を振りかざしかねません。

私は、平等ってものすごく根源的かつ概念的で、日常生活の中では基本的に遭遇しないものなんじゃないかなって思います。

平等を実現するのは難しい

日本では、憲法によって法の下の平等が全国民に保証されてます。

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

日本国憲法第14条

でも、これってあくまで憲法に則って作成された法律が、すべての国民に同じように適用されますよってことしか保証してないのかなと。
これは差別で、それは差別じゃないみたいな境界がはっきりあるわけでもない。

憲法に基づいて、あとは良心に従って法律作ったり、裁判したり、政したりしてこうねって。
その程度なのかなーって。

昨日の記事にも書いた通り、言葉ってすごく曖昧です。
だから、平等って言葉で規定できるのは、本当に根源的な、誰もが「当たり前だよ、そんなこと。」って思うような部分だけなんだと思います。

そもそも誰一人として同じ人がいないこの世の中で、平等という概念を具体に落とし込もうとすること自体、かなり無理ありますよね。

たぶん、誰が見ても「明らかに人権侵害だろ、これ。」みたいな状況下(例えば、虐殺や監禁、強制労働など)くらいでしか、誰もが等しく扱われるべきだ!って主張の説得力はないんじゃないかな。

えこひいきは悪なのか

さあ、そこできました、えこひいき問題!笑
(問題ってほどでもないのかな…?)

「□□先生って、○○ちゃんに対してえこひいきしてるよね。」

ありますよね、そういう年頃。
先生が意図的にそうしてなくとも、一人一人との接し方が変わってしまうことは当然あると思います。
おそらく子どもたちもそういうことに敏感な年頃なのでしょう。

そんな敏感な時期、 言い換えると、そういった違いに初めて気づく時期、その時の先生たちの対応の仕方はとても重要なんじゃないかなって思います。

「そんなことないよ、私はみんなに対して平等だよ。」

と諭すのか、

「君の普段の態度が悪いのがいけないんだ。人のせいにしてはいけない。」

と叱るのか。

みなさんならどう対処しますか?

ここで一つ私が考えさせられたエピソードを紹介します。
ネパール滞在中に学校を訪れたときのことです。

その先生は、学校のスタッフ、他の先生、生徒、学校に関わる全ての人を自分の家族と呼んで毎日たっぷりの愛情を注いでます笑。

「あの子はすごく賢くて、気も利く。」
「最初は頑固だったけど、今ではすごく面倒見のいい子になった。」

学校に行くたびに生徒の自慢話を聞いてました。
いや~、素敵な時間だった!

でも、ある日、その先生が

「あの子は落ち着きがなくていたずらはするくせに、私の前でははっきりと意見を言わない。だから、私はあまりよく思ってない。」

って言ったんです。

正直、えっ?って耳を疑いました。
確かに、私から見てもその子は落ち着きがないなと思ってましたが、先生という立場で好き嫌いといった部分を明言したことに驚いたのです。

でも、よく考えた後にその先生のスタンスは一つありなんだろうなという結論に至りました。

先生だって一人の人間です。
警察官だって裁判官だって、どんな職業・役職の人だってみんな一人の人間です。
あ、これは平等の概念ですね笑。

誰に対しても平等に接するなんて最初から無理な話なのです。

もちろん、職業や役職ごとに守らないといけないルールはあります。
それは当然守るべきです。

でも、ルールでカバーできない部分や個人の裁量にゆだねられる、いわゆるグレーゾーンがたくさんあるのも事実です。
むしろそっちの方が多いかもしれません。

だからこそ、敏感な時期の子どもには、世の中には平等なことなんてほとんどなくて、グレーゾーンがいっぱいあるんだよってことを丁寧に教えるべきだと思うんです。

みんな同じじゃ無いから価値がある

「□□先生って、○○ちゃんに対してえこひいきしてるよね。」

これに対する私の答えはこうです。

「確かに、自然とえこひいきと思われるような態度になってたかもしれない。でも、それは△△ちゃんが仲の良い友達と話すときの態度とあまり仲の良くない友達と話すときの態度が違うのと同じことなんだよ。」

「そのうえで、先生は△△ちゃんの素敵なところも知ってるし、それは○○ちゃんにはない強みだと思ってる。先生も含めてクラスの一人一人が違った強みを持ってるのがこのクラスという小さな社会で、みんな同じじゃないからこそ楽しいし、学びがたくさんあるんだよ。」

もちろん、意図的に差別や特別扱いをしてないというのが大前提です。
上のセリフはあくまで例であって、これが正解だと思ってるわけでも何でもないです。

大事なのは、

「みんな同じじゃないよ!でも、それが価値あることなんだよ」

ってことを根気強く伝えていくこと。

社会に出る前の準備として学校があるのなら、社会の仕組みと真逆のことを教えるのは本末転倒ですよね。

学校という組織と社会との隔たりをいかになくせるか。
たくさんの外的な刺激が必要です。


なんか今日は書き疲れたーーなぁーーー。

では、また。

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