言葉の曖昧さを補うコミュニケーション

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那波多目健太

食料問題や環境問題への関心から大学では農学を専攻。在学中に参加した途上国での建築ボランティアをきっかけに、国際協力にも興味を持ち始める。しかし、大学・大学院での研究と自分のやりたいこととのギャップに気づき、大学院入学直後という出遅れた感満載なタイミングで休学を決意。現在、持続可能な農業を目指す企業とColorbathでインターンをしながら、自分の将来像について考え中。

Hafa Adai!
みなさん、こんにちは!
ブログ毎日更新17日目です。あと1週間!

昨日は逃げたので今日はしっかり書きます…!

先日引っ越してきたばかりでまだ片付いてないのですが、改めていい家だなって思ってます笑。
これまで住んだ家の中では一番狭いんですが、3階で日当たりも見晴らしも良く、温度調節可能な給湯器がついてて、エレベーターもある。
うん、いい家!
これまでの家の中で一番気に入ってます!

まあもちろん、もっとこうだったらっていう部分はありますよ?
でも、それを言ったらきりがないので。
いい家!って言い聞かせて、いい家にしていきます笑。

さて、今日は言葉の持つ曖昧さについて考えてみます。

「頑固」の意味

最近立て続けに、家族や友人から

「健太は頑固だからね。」

って言われました。

「えっ、そうなの?」

ってちょっと驚きました。
どちらかと言うと周りの人とか環境に順応するタイプかな〜って思っていたので。
意外でした。

でも、よくよく話を聞いてみると、別に人当たりが悪いとか、環境に馴染めないとかって意味ではなく、自分の中に譲れないものを持っているとか、他人は他人、自分は自分みたいな部分があるっていうことらしく、なるほどね。って納得しました。

まあ芯がなかなか見えにくいって弱点はありますが、自分のことをよく知ってる人からするとそんな感じらしいです。
変に恥ずかしがったり、躊躇したり、謙遜したりするのが、おそらく私の厄介なところ。笑
それで手始めに、このブログでありのままの自己表現を磨いてるのです。

まあそれはいいとして。

自分からしたら意外だった「頑固」という言葉。
でもその説明を聞くと、納得できる部分がある。
つまり、私と彼らの間に「頑固」という言葉の定義にギャップがあったのです。

「自己満足」の意味

他にもこんなエピソードがありました。

私は大学時代にボランティアをしていたのですが、そこで「自己満足」という言葉にぶち当たるわけです。

私がボランティアでどんなことをしてきたか、どんな想いや葛藤を抱えながら取り組んでいたかは、
東日本大震災から9年 -前編-
東日本大震災から9年 -後編-
を参考に。

ボランティアをやっていると一度は遭遇する言葉なのかなと思います。
「自己満足」と言われようが関係ない、別に自己満足でもいい、そうやって割り切ってやればなんの問題もないことなのですが、、

これって本当に自己満足なのか?
そもそも自己満足ってどういう意味だ?

ってなってしまうのが、私、那波多目健太という人間なのです。
変人です笑。

幸せとは?という問いでも、「自己満足」の辞書的意味を解説したんですが、
要は、自分の言動に満足したり、その言動をしている自分自身に満足したりしてるのが自己満足で、
ボランティアをしたときに見れる相手の笑顔に満足するのは自己満足ではないんだなと解釈しました。

ここでも、言葉の認識に対するギャップを感じたわけです。

言葉の曖昧さ

他にも、色々あると思います。

「妥協」と「許容」の違いは?とか、
それって「柔軟」なの?「優柔不断」なの?とか。
この二つは基本的にネガティブかポジティブかの違いでしょう。

でも、「体験」と「経験」や、「発展」「発達」「成長」「進歩」を厳密に使い分けている人は、なかなかいないんじゃないかなと思います。


毎日当たり前のように使っている、「普通」とか「意識」とか「思考」とか、
そういった言葉の意味を正確に定義している人もまずいないでしょう。

それが普通ですよね。
言葉一つ一つについて考えてたらそれだけで日が暮れちゃいますし、毎回正確な意味を確認しようと思ったら、肌身離さず辞書を持っておく必要がありますからね。
というか、そんなコミュニケーション絶対に嫌ですよね笑。

つまり、何が言いたいかというと、
言葉って私たちが思ってる以上に曖昧で、定義も不確かであるということ。
分かり合えたつもりで、実は分かり合えていなかったり、伝わったと思ったことが違ったふうに解釈されてしまったり。
それが日常茶飯事です。

私たちは、端から簡単には分かり合えない生きものなのです笑。

言葉が曖昧なだけならまだしも、一人一人がもっているバックグラウンドも異なるので、まあわからなくてあたりまえ。

でもだからこそ、人は具体例や自分の体験を交えて話したり、時には言葉を介さずジェスチャーや芸術で表現したり。
そういう能力も備えてるのかなって。

伝えたい!わかりたい!ってお互いの「間」を埋めようと、必死になれる生きものでもあると思うんです。

大切なのは「間」を埋める努力

以前こんな記事を読みました↓

「何かがズレている、自分と違う」と思ったら、自分が悪いとか相手がブレてるとかではなく、“間”が違うはずだと思って、その入力情報の間の違いを探って、インプットしに行けばいいんです。

「自分があっていて、相手が間違っている」と思った瞬間、”すべて”がうまくいかなくなる――【働き方対談】仲山進也×佐渡島庸平(第3回)

意見が食い違ったとき、
それはどっちが悪いとかそういうことじゃない。
ただ、お互いの知識や経験といった背景や価値観に違いがあるだけ。
だから、その違いがどこから生まれてるのかを見つける努力をしよう。

端から簡単には分かり合えない生きものなんだから、それを当たり前と認識して、分かり合おうと努力する。

この分かり合おうとする、「間」を埋めようとする努力が良好で円滑な人間関係を築く土台になるのかなと思います。


定義があるようでない、言葉。
価値があるようでない、お金。
境界があるようでない、国家。

言われてみれば当たり前、でもそれを認識しているのとそうでないのでは、見える世界ががらっと変わる。
そんな本日の「見えないものをみる」でしたー。

見えないものは、目を凝らしてもみえてこない。
でも、たとえ盲目だとしてもみることができる。

by なばためん

ちょっとカッコつけて書いてみました笑。

ばいばい!

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