私が死ぬまでにしたいこと

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那波多目健太

1996年生まれ。東京都出身。環境問題への関心から東北大学では農学を専攻。大学院進学後、休学を決意し環境負荷の少ない農業を実践する㈱坂ノ途中とNPO法人Colorbathで1年間のインターン。2019年度末に大学院を中退。現在、お野菜をオンライン販売する京都発の企業に勤務中。

Hafa Adai!
みなさん、こんにちは!
ブログ毎日更新15日目です。

最近、すごくいろいろ考えてます笑。
何を?って話ですよね。
いろいろです。笑
頭の中ぐるぐるしてます。

楽しくなったり、やる気が満ちてきたり、切ない気持ちになったり、不安になったり。
こんなに感情の起伏がある人間だったっけ?って自分でも思います笑。

人間って不思議ですよね。
なんの目的も意味もなく生まれてくるのに、正解のない問いの答えを探したり、ちっぽけなことにすごく悩んだり。
それでも一生懸命に生きてる。
すごくはかなくて素敵な生きものですよね。

今日は読んでくれているみなさんに一つの質問を投げかけたいと思います。

生きているうちにやりたいことはありますか?

死について考える

最近はすごく「死」とか「人生」について考えていて。
「いろいろ」のうちの一部です。

あ、別に病んでるってわけじゃないですよ?笑

はじまりとおわりでスティーブ・ジョブズ氏の「もし今日が人生最後の日だとしたら…?」について考えたり、四月は君の嘘ってマンガを読んだり、おじいちゃんが余命半年を宣告されていたり…

私は私の人生をどんなものにしたいんだろう?
と真剣に考えてます。

暇だからそんなこと考えられるんだと言われれば、おそらく、それはごもっともな意見ですと答えます笑。
でも、少し時間のある時だからこそ考えておきたいなって、
そう思います。

生物学的に見れば、おそらく私たちは種の繁栄のためだけに生きてます。
なので、

人生とは何か?
生きる目的は何か?

これらは正解のない問いです。
だから自分で正解をつくりあげなくてはいけない。
いや、別にそんな事考えずに生きるってのも全然ありだし、なんならそのほうが本質的なのかも。

でも、やはり人間のゴールは死で、誰しも一度くらいは、生きている意味とか、死ぬまでにやりたいこととか、「人生」について考えたことがあるんじゃないかなって思います。

私のおじいちゃんは、今下半身麻痺の状態で基本的に一日寝たきりです。

本を読んだり日記を書いたり、テレビを見たりするらしいのですが、まあどれもあまりやる気が起きないとのこと。

親戚で集まるといつものように、

「孫を5人も見れて嬉しい。幸せものだ。」

そんなふうに言ってました。

この前お見舞いに行ったときも、

「もう十分に生きた、幸せだ。」

そう言ってました。
言ってたけど、目は潤んでて。

死を目の前に意識してから最期の時間を過ごすのって、どれだけしんどいんだろ、怖いんだろ、虚しいんだろ…
なんなら余命を告げられず、ある日突然死んでしまったほうが怖くないのかも。

死までの時間を頭で理解できても、自分ごとにはなかなか落とし込めない。
私の余命があと約60年もあるから?

いや、本当に60年?
60年「も」なの?
本当は明日かもよ?

そんな意識を持って生きれる人はなかなかいない。
でも、誰だって生まれたときから余命はつきまとうものです。

生きることの本質とは?

私は生きてるうちに何がしたいんだろ?
死を意識すると本当にやりたいことをやれるの?

物心つく前のことを考えてみました。
おそらく死を意識したことはなかったし、常に目の前のことを楽しんで、悲しんで。
そんな生き方をしてたんじゃないかなって思います。

それが死について考えられるくらい「賢く」なると、急に自分の時間は有限で無駄にできないって考えを持つようになります。
生きているうちに〇〇がしたいって欲が出ます。
底なし沼のような問いに苦しめられるようになります。

でも本当は、生きることの本質を誰しも生まれながらに知ってるんじゃないかなって気がするのです。

私たちはもう十分に素敵な人生を生きている

今日やりたいことは本当にやりたいこと?

考えたら不安になります。
考えるなとは言いません。考えろとも言いません。

やりたいことだろうが、そうじゃなかろうが。
充実してようが、不安で満ちてようが。
別にどっちでもいいんです。

目の前のことに精一杯取り組むだけ。
ここで言う精一杯は、逃げることも休むことも、ちっぽけなことに悩むことも全部含みます。
たぶん私たちの人生は、私たち自身が思っている以上にもう十分素敵なものなのです。

だから、まずは毎日生きていることをちゃんと肯定してあげる。
それだけでいい。

「いつ死んでも大丈夫、怖くなんてない。あなたはしっかり素敵な毎日を生きてきたよ。」

自分にそう言ってあげる。

これは私たちが「賢く」なったがゆえの負担を軽くする方法です。

心に残る生き方を

では今度は、私たちが「賢く」なったがゆえの特権を活かしてみましょう。

今日やりたいことは本当にやりたいこと?

さっきは、考えたら不安になるから考えなくても大丈夫、ただ認めてあげればいい。
そう言いましたが、死を意識して何をしたいか、どう生きたいかを考えることもとても大切です。

どっちやねん!

ってなると思います。
気分によって使い分けてください笑。

もし今日が人生最後の日だとしたら…
私は今日やろうとしていることをやりたいのだろうか?
私は今日やろうとしていることにどのように取り組みたいだろうか?

そのときに聞こえてくるあなたの答えは何ですか?

私にとっての本質は、何をやりたいかよりもどのように取り組みたいかです。

まだ漠然としている部分はありますが、もちろんやりたいこともあります。
ざっくり教育系のことです笑。
わたしの想いに書いたようなことです。

でも、自分は何をやるかにあまりこだわりのない人間で。
今のところはですが。
だからどう向き合うかってことの方に重きを置いてるんです。

出会った人の心に生き続けられるような、そんな人になりたい。
逆に出会った人のことも自分の心の中に生き続けさせてあげたい。
どんな些細なことでも「目の前」の人やものを大切にする生き方をしたい。

わたしの「遺書」

どう向き合いたいかに重きを置いていると言いましたが、生きている間にどうしてもやりたいことを、ブログ毎日更新をはじめてから見つけました。

それがこのブログです。

死を目前にしたら何をしたいのだろうか?
どうすれば出会った人の心に生き続けられるだろうか?

その答えの一つが「言葉を残すこと」です。

これはただの那波多目健太のブログですが、私の「遺書」でもあると考えるようになりました。
重いですかね?笑

遺書だからって特別お別れの内容を書いたりするつもりはありませんよ?
日々のことを徒然なるままに書くつもりです。

でも、いつ死ぬかって本当にわからないので。
日常の他愛もない会話が、今日のブログが、最後の言葉かもしれない。
だからこそ、想いよ届け!心に残れ!って思って書きます。

このブログに残してきた言葉はありのままの自分だ!
そう胸を張って言えるような「遺書」にしたいです。

ありのまま、つらつら書いていたのですが、今日はちょっと長くなってしまいました、、

今日も読んでくれてありがとうございます!

では、素敵な明日が訪れることを願って。

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