はじまりとおわり

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那波多目健太

1996年生まれ。東京都出身。環境問題への関心から東北大学では農学を専攻。大学院進学後、休学を決意し環境負荷の少ない農業を実践する㈱坂ノ途中とNPO法人Colorbathで1年間のインターン。2019年度末に大学院を中退。現在、お野菜をオンライン販売する京都発の企業に勤務中。

Hafa Adai!
みなさん、こんにちは!
ブログ毎日更新9日目です。

書きはじめて5日目くらいまでは、気持ち的なハードルが結構高かったのですが、ここ数日はブログ更新を自分のルーティーンとして落とし込めるようになってきた気がします。

インターンの仕事も大学の授業もなく、メリハリをつけにくいここ数週間の生活の中で、ブログ毎日更新が果たす役割の重要性を感じ始めています。

さて、今日はスタンフォード大学の卒業講演でスティーブ・ジョブズ氏が言った
「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしていることをやりたいのだろうか?」
という問いについて考えたいと思います。

「人生最後の日」の仮定は短期思考?

スピーチの中でジョブズ氏は、毎日鏡の中の自分に向かって上のような質問をしていたと言います。

このフレーズをはじめて聞いたときは、すんなりと理解できない感覚がありました。
毎日、今日が最後だと仮定していたら、計画を立てて何かをするということには、全く意味がなくなってしまうのではないかと思ったからです。

でも実際には、企業は年次計画を立てるし、学生は志望校を目指して勉強します。あらゆるスポーツ選手が優勝を目指して必死にしんどい練習に取り組みます。


今日が人生最後の日だと思って生きる必要などない、たった一つの理由という記事にも次のような記述がありました。

今日という限られた「点」で考えていては短期思考に陥ってしまうでしょう。「どうせ明日さえもないのであれば、好き勝手やらせてほしい」と、目先の報酬に振り回される人もいます。他者に向ける視点も欠けていきます。

「毎日を人生最後の日だと想像する」
これって実践するのはなかなか難しいのかな、と思っていました。

ただ、スピーチを聞き直している内に、

「問いに対する答えが何日も連続でノーであるときには、何かを変える必要があると気づくことができる。」

という続きのフレーズに引っかかりました。

「なぜ、「何日も連続で」なのだろう?」
「ここに、ジョブズ氏の意図したいことが隠れているのではないか?」

そう思うようになりました。

Macbook Air

やりたいことを見失わないための問い

毎日、今からやろうとしていることがやりたいことである状況なんてそうそうないと思います。

もし本当に今日が人生最後の日だとわかるのであれば、家族や友人など大切な人と過ごしたり、念願だった場所を訪れたり、自分の大好物をたらふく食べたりするでしょう。
でも、毎日そんな事をしようと思う人はまずいないはずです。

ジョブズ氏が「何日も連続で」と言ったのには、必ずしも毎日やりたいことができるわけではないという含みがあるのではないかと思います。

たとえ情熱的に取り組んでいるプロジェクトだとしても雑務は伴い、その雑務「自体」がやりたいことなわけではないでしょう。
志望校に合格するための勉強「自体」がやりたいことかと聞かれれば、いつもそうとは言えないでしょう。

それでも、自分の心がしっている本当にやりたいことを、知らず知らずの内に見失わないためには、毎日を「人生最後の日」と仮定して、自分に問いを投げかけることは有効なのだと思います。

おわりを認識する

そして私は、ジョブズ氏のスピーチにはもう一つメッセージがあるような気がします。

それは、私が最近記事にもした見えないものを見るということです。

人間が必ず死を迎えるというのは、誰もが知っていることでしょう。ですが、そのことを本当に「しっている」人は数少ないのではないかと思います。

「今日が人生最後の日なんて想像できないよ。」

で終わらせるのではなく、いつかはわからないけど必ずおわりは来る、ということを認識して欲しい。想像力を膨らませて、見えないものをみて欲しい。

そんなメッセージを感じ取りました。


ちなみに、記事を公開してから知ったのですが、正確には「見えないものをみる」(ふたつめの「みる」はひらがな表記)だったようです。

「見える」は物理的な物体が見えること、目で見える。 そうではなくて、抽象的なことを捉えるということを表現する意味で「みえる」。認識するのニュアンス。

Colorbath 辞典より

はじまりがあれば、おわりもある

ここまでは、ジョブズ氏のスピーチをもとに人生のおわりを意識することの大切さを考えてきました。

ですが、おわりがあるのは人生だけではありません。
はじまりのある全てのことにはおわりがあります。

生と死という大きな「はじまり」と「おわり」の間に、無数の「はじまり」と「おわり」があるのが人生です。

人生のイメージ図

「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしていることをやりたいのだろうか?」

の問いと同時に、

「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしていることにどのように取り組みたいだろうか?

の問いも重要なのではないかと思います。

家族、友人、恋人、先生、上司…
今日、彼ら彼女らに会う予定があるのであれば、どのように過ごしたいだろう。
もしかしたら、今日交わす一言、今日見せる笑顔が最後になるかもしれない。。
だとしたら、自分はその「はじまり」と「おわり」の間をどのように過ごしたいだろうか?

今日の記事が最後になるとしたら…?

この文章で読みやすいだろうか?
理解してもらえるだろうか?
想いは伝わるだろうか?

常にこんなことを意識するのは難しいですが、時折考えてみるのは悪くないかもしれません。

この2つの問いの先に「今」を生きるがあるのかなと思ったり、思わなかったり。

明日も全力で生きよう笑。

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