見えないものを見る

ABOUTこの記事をかいた人

那波多目健太

1996年生まれ。東京都出身。環境問題への関心から東北大学では農学を専攻。大学院進学後、休学を決意し環境負荷の少ない農業を実践する㈱坂ノ途中とNPO法人Colorbathで1年間のインターン。2019年度末に大学院を中退。現在、お野菜をオンライン販売する京都発の企業に勤務中。

Hafa Adai!
みなさん、こんにちは!
ブログ毎日更新6日目です。

やはり毎日書くのは大変です。
正直今、自分の中で
「24日間やるって言ったけど、そんなにたくさんの人が見るわけでもないし、強制力もないしなあ…」
という悪魔の囁きが聞こえています。

はい、自分を直観します。
「これは小さなハードルです。この道を選びましょう。」

ということで、今日も書いていきたいと思います。

「見えないものを見る」とは?

タイトルにある「見えないものを見る」という言葉は、私がColorbathのインターン中によく見聞きした言葉です。
いつも正確にこのフレーズというわけではないのですが、「見えるようになる」「ないものに触れる」など「見えないものを見る」の概念に遭遇する機会が大変多くありました。

最初のうちはなんとなくわかるような、わからないような感じで、いずれ見えるのかな〜とあまり深く考えていませんでした。

ですが、ネパールという日本とは文化や価値観がかなり異なる環境に身をおいたり、Colorbathの価値観に触れたりするうちに、徐々に体験として「見えないものを見る」を理解できるようになりました。

自分なりの解釈を2つの例をもとに説明します。

見えないものが見えている状態とは?

まず、冒頭に述べた小さなハードルの話です。(詳しくはブログの毎日更新をスタートした日の記事で説明しています。)

私は、このブログを24日間毎日更新すると宣言しました。
見ている人は少ないですが、宣言したことによって誰かは私が「毎日投稿する」ことを知っている状態になります。
知ったことで私の中には、こんな感情が生まれました。

「人に言ってしまった以上、続けねば、、でも、強制力はないしなあ…」
このネガティブな感情が小さなハードルです。

ここからが、「見えないものを見る」が意味するところです!

見えないものが見えている状態の場合、この感情をフラットに見つめ、自分の成長のためのハードルと認識することができます。
一方で、見えないものは見えないままな状態の場合、これをハードルとは捉えず単なるネガティブな感情として処理してしまいます。

もう一つの例は、ネパールと日本の価値観の違いについてです。

ネパール滞在中にしばしば経験したことなのですが、彼らは基本的に約束した時間よりも早く来ることはありません。そして、たいていの場合遅れてきます。
ここまではまだ良いのですが、遅れるのに連絡がなかったり、連絡なしに待ち合わせの時間を変更していたりするのです。
これには度々イラッとさせられていました。

一方で、村を訪問すれば到着した日と帰る日の両方でセレモニーを開催してくれたり、村で取れるイモやはちみつを振る舞ってくれたり、寝泊まりする場所も提供してくれたりと、どうして初対面の私にここまで親切にしてくれるのだろうと思うことがよくありました。

この2つの出来事に関して、見えないものが見えている状態の場合、

  • なぜ自分がイラッとしたのかを冷静に考え、それは自分の中に時間を守るのが当たり前という「常識」が植え付けられているからだと認識できる。
  • 自分はすごく親切にされたと感じたが、これはネパールの人からしたら当たり前のことなのかもしれないという考えが浮かぶ。

逆に、見えないものは見えないままな状態の場合、

  • イラッとした感情にまかせて、相手をマナーのなってない人だと判断してしまう。
  • 単にネパールの人はとても親切だという感想のみで、文化的な要因があるのか、生活形態の差が原因なのかなどの疑問を抱かない。

見えないものの見方

では、見えないものはどうしたら見えるようになるのか。

私は、自分の感情や判断といったもの、要するに自分の価値観を直観することで見えないものは見えるようになるのだと思います。

自分が苛立ったとき、違和感を感じたとき、驚いたとき。
自分がAという選択肢を選んだとき、選ばなかったとき、選択肢にない道を選んだとき。

なぜその感情が湧き上がってきたのか、その判断をしたのか、そして、その感情(or 判断)によって自分は何を守ろうとしているのか、何を得ようとしているのか、何から逃れようとしているのか。

突発的な感情に流されずに、踏みとどまってフラットに観ることで見えなかったものが見えてきます。

「見えないもの」はすでに見えている?

個人的にこの感覚は、雑念を排除してあるがままを観る、瞑想に近いものがあると思います。

ただ、「見えないものを見る」の難しさは、「見えないもの」はすでに見えている場合がほとんどだということです。

「え?何いってんの?」

ってなりますよね笑。

先ほど紹介したハードルの例と価値観の違いの例は、冷静に見れば多くの人にとって、何を当たり前のことを…といった内容かと思います。

つまり、そういうことなのです。
「見えないもの」は、よく考えれば当たり前のことだったり、誰もが根底には持っている意識だったりします。

ですので、それを人から言われても、

「そんなの知ってるよ、あたり前のことじゃん。」

ってなります。

何が言いたいかと言うと、「見えないもの」は人から教えてもらっても見えるようにはならず、すでに見えていたと思うか、見えた気になるかのどちらかです。

「見えないものを見る」ためには見聞ではなく体験が必要で、その体験を通して自分の中に「気づき」が生まれる必要があります。

そして、「見えないものを見る」に慣れてくると、偏見や常識に影響されにくくなり、より合理的な考え方ができるようになるのだと思います。

と書きつつ、そんな都合よく合理的に動けないのが人間なんですがね笑。
でも、それも含めて人間の美しさだったりするのかなとも思います。

見えないもの(当たり前のこと)はすでに見えて(知って)いるが、自分で見ないと(体験しないと)見える(認識できる)ようにはならない。

難しい。おやすみなさい。

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