東日本大震災から9年 -後編-

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那波多目健太

1996年生まれ。東京都出身。環境問題への関心から東北大学では農学を専攻。大学院進学後、休学を決意し環境負荷の少ない農業を実践する㈱坂ノ途中とNPO法人Colorbathで1年間のインターン。2019年度末に大学院を中退。現在、お野菜をオンライン販売する京都発の企業に勤務中。

Hafa Adai!
みなさん、こんにちは!
ブログ毎日更新5日目です。

今日は昨日に引き続き、3.11とボランティアをテーマに書いていきたいと思います。昨日公開した前編はこちら

導入は短めにして、早速いきたいと思います!

ボランティアを考える

フィリピンから帰国したあと、仲間からの矢継ぎ早な鋭い質問を機に、ボランティアについてはかなり考えるようになりました。

それと同時に、ボランティアの先にある幸せや、ボランティアの対象となる貧困などについても考えるようになりました。
私の一番初めの記事が「幸せとは?という問い」なのも、おそらくこのためでしょう笑。

ただ、はじめはボランティアについて考えようにも、ボランティアに関する知識も現場での見聞もほとんどなかったので、とりあえず手当り次第、見たり聞いたり感じたりしました。

ボランティアに関する本を読んだり、Habitatが開催するイベントに参加したり、他大学の学生を招いて震災復興ボランティア行ったり、被災地の資料館を訪問したり、仮設住宅を訪問したり、阪神淡路大震災の起きた神戸市の職員にお話を聞きに行ったり…

徐々にボランティアを多角的に捉えられるようになり、自分の考えも持てるようになっていきました。

ソフト面の支援の難しさ

しかし、まだモヤモヤが残っている感じがありました。

ボランティアについて頭では理解できるようになったものの、ソフト面の支援はハード面の支援に比べて成果を感じにくく、考えれば考えるほど本当に役に立てているのだろうかという思いが強くなりました。

ゆめハウスや仮設住宅の方々は、
「来てくれるだけでうれしい」「ボランティアの人には本当に感謝している」
いつもこのような言葉をかけてくださいました。

彼らと交流している時間は楽しかったのですが、私からしてみればただ話をしているだけという感じで、これで「ボランティアをしてます!」と言って良いものなのかという思いはいつも付きまとっていました。

「それって本当に役に立っているの?」
「自己満足なんじゃないの?」

そんな声が聞こえてきそうで、ボランティアをしてることを外部の人に堂々と話すことがなかなかできませんでした。

実はこのモヤモヤを払拭できたのは、ボランティア団体としてのボランティアをやめてからでした。

他大学と合同で実施した石巻市にある大森仮設第4団地での草取りボランティア

被災された1人の女性との出会い

私は復興ボランティアを始めてから4年が経ちますが、実は3月11日に被災地にいるのは今年が初めてでした。
これまでは、別のボランティアで海外にいたり、旅行をしていたりでなかなかこの3月11日という日に巡り会えませんでした。

そんな今日、2020年3月11日はどこにいたかと言うと、宮城県石巻市雄勝町に足を運んでいました。

雄勝町は漁業が盛んな町で、ホタテや牡蠣、さんまや海藻類など1年を通してバラエティに富んだ海産物が楽しめます。
また、雄勝石から作られる硯も有名です。

そんな雄勝町を訪問したのは一人の女性に会うためでした。

その女性とは1年半くらい前に仮設住宅で開催されたイベントで出会いました。
仮設住宅では、秋のさんま祭りが開催されていて個人的にこのイベントに参加しました。

さんまを食べながら仮設住宅の方々と話をしていると、
「あんた、さんまの食べ方すごくきれいだね〜」
「今度、魚ごちそうすっからまた来なさい」
と言われ、電話番号を交換することになりました。

突然のことだったので最初は戸惑いましたが、それから1, 2ヶ月後に再び会いに行きました。
一緒にお昼ごはんを食べ、その方が住んでいる復興公営住宅を見せてもらい、帰り際には本当に魚をいただいてしまいました。

その後も2回、彼女のもとへ足を運び一緒にご飯を食べたり、お話をしたりというのどかな時間を過ごしました。そして、今回会うのが気づけばもう5回目という感じでした。

彼女に会いに行くようになってから、ボランティアがどうこうとかよりも、ただ純粋にまた会いに行きたいと思うようになりました。

その女性は自分のことを孫のような存在だと言い、周りの友だちにも孫の自慢をするかのように話をしてくれます。

「こんな形で、自分の存在は人の心の中に生きられるのか」

それに気づいてからは、「ボランティアとは何か」や「それは自己満足なのか」などの問いは、取るに足らないことなんだなと思うようになりました。

もちろん、ここに行き着くまでに色々な機会に触れ、葛藤を繰り返したからこそ出せた結論だと思うので、本質的な部分を問うことは大切なことだと思うし、そこを問い直さなければこの答えは出てこなかったと思います。

雄勝町に新設された高さ9.7 mの防潮堤

「何ができるか」よりも「どうしたいか」

2018年、震災から7年の節目に合わせて、私は「東日本大震災から7年の東北の今 -宮城編-」と題して、Habitat for Humanity Japanの活動レポートに東北の「今」についての記事を書きました。
おそらくこれが、一般の人さまが見る文章を書いた初めての機会だったと思います。

このとき、私は

ボランティアをする側の人間として、いわゆる『善いこと』ではなく真に『人のためになること』をしなくてはならない

と書いていました。

これは確か、「偽善」と言われることに対しての反発心のようなものがにじみ出た言葉だった気がします。
ボランティアをする側の自己満足になって、相手側がないがしろなってしまわないように、常に相手側の真のニーズを考える必要があるという意図で書きました。

海外でボランティアをしているときも、被災地でしているときも、私には何ができるのだろうかということをずっと考えていました。

でも、雄勝の女性と出会ってから、ある種義務感のような考えが剥がれ落ちていった気がします。
そして、今ならゆめハウスの代表から言われた

「あなたがやりたいと思うことをやりなさい。自分が楽しまなくては人を楽しませることなんてできません。」

という言葉を本当の意味で理解できるような気がします。

ボランティアは自発的な活動です。
自分にエネルギーがないと続けることはとても難しいと思います。
自発的にやる活動だからこそ、「何ができるか」よりも自分が「どうしたいのか」がエネルギーの源になるはずです。

震災という大きなドット

私は、この東日本大震災を一つの大きなドットだと捉えています。
このドットに絡んで、多くの人が私には想像もできないような悲しみや苦しみと戦っています。
一方で、この震災を機につながるはずのなかった人同士が繋がったり、新たな環境に挑戦する機会を得たりしているのも事実です。

私はこの東日本大震災を悲観もしなければ、軽視もしません。

過去を受け入れ、今を生きるために自分なりのスタンスで関わっていく。

震災から9年、私と3.11の関わりが始まって4年。
この大きなドットからいくつもの新たなドットが生まれることを願って、震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表します。

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