東日本大震災から9年 -前編-

ABOUTこの記事をかいた人

那波多目健太

1996年生まれ。東京都出身。環境問題への関心から東北大学では農学を専攻。大学院進学後、休学を決意し環境負荷の少ない農業を実践する㈱坂ノ途中とNPO法人Colorbathで1年間のインターン。2019年度末に大学院を中退。現在、お野菜をオンライン販売する京都発の企業に勤務中。

Hafa Adai!
みなさん、こんにちは!
ブログ毎日更新4日目です。

今日は、3.11をテーマに書きたいと思います。
ちなみに、ブログ毎日更新の期間中は、記事を書いた翌日に編集して公開としているので、この記事を書いているのは3月11日です。

そういう順序があるのなら、計算して昨日書いておけって話ですよね。。
でも、このことに気づいたのは昨日の記事を書き終えてからでした笑。
書いているのは3月11日なので、時差1日ということでお許しくださいませ。

では、書いていきます!

と、その前に。
Osmoser (Osmosis Lifeのライター) 仲間のゆっきーさんも、個人ブログに3.11についての記事を書いてますので、ぜひ読んでみてください!

震災当時、私は東京にいたのでゆっきーさんと状況は違いますが、大学時代に震災復興ボランティアを通して似たような葛藤を抱えたので共感する部分が多かったです。

この記事では、震災復興ボランティアに関わる中で、悩みや葛藤を抱えながらたどり着いた自分なりの答えを書きたいと思います。
今日の記事は長くなりそうなので、先に断っておきます笑。

※書き終えたらかなり長文になってしまったので、前編・後編に分けて投稿します。

震災当時の記憶

震災当時、私は中学2年生で東京の中学校に通っていました。
震災が起きたときは、学校のグラウンドで部活動をしている最中でした。自分のいた地域は震度5弱で東北地方と比較するとマシでしたが、それでも生まれてはじめての大揺れに「これはただ事じゃない」と感じた記憶があります。

揺れが落ち着いたあと、グラウンドから離れた本館に移動するため、スクールバスに乗り込みました。
そのとき初めて、TVモニター上に映し出された、海岸線が赤(津波警報)や黄色(津波注意報)に塗りつぶされた日本地図を目にしたのです。

あの映像を見たときのショックは今でも鮮明に記憶しています。
衝撃的だった一方で被害予想のスケールが大き過ぎて、正直なところ事態の深刻さをあまり想像できませんでした。ただ、なんとなく日本はどうなってしまうんだろう…と思うくらいでした。

震災直後は、各地の被害状況が毎日報道されていました。
報道がいつまで続いていたかはあまり覚えていませんが、原発のこと、被害状況の最新情報、ボランティアについてなどなど、毎日のように討論がなされていたような気がします。

毎日震災について考えるきっかけがあったので、自分も「こうすべきだ」とか「これはやってはいけない」とか考えていたような気がしますが、結局、高校卒業まで何かを行動に移すことはありませんでした。

拍子抜けした震災復興ボランティア

果樹園Cafeゆめハウスでのランチタイム

「東北大学に進学することができたら、震災復興ボランティアを一度はやってみよう。」

合格する前から、ぼんやりとこんな想いは持っていました。
ただ、そんな大した事ができるわけではないだろうし、現地の「今」を知るためにやってみようくらいの気持ちでした。
そのくらいの気持ちしかなかったので、ボランティア団体に入ったのは大学2年生の夏休み明けでした。

初めて参加したボランティアは、宮城県牡鹿郡女川町にある果樹園Cafeゆめハウスでのランチメニュー提供のお手伝いでした。
ゆめハウスでは、被災された方々の心の拠り所となるべく、カフェの営業や農作業、お土産づくりなどを実施し、仕事の機会や外部の人(カフェのお客さんやボランティア)との交流の機会を提供しています。

私の中での3.11のイメージが中学2年生のままで止まっていたので、このボランティアにはちょっと拍子抜けしてしまいました。

「あれ?掃除とか片付けとかそういうのじゃないんだ。」

震災から6年も経っていたので、瓦礫が大量に残っていて…みたいなことはほとんどないだろうなとは思っていましたが、当時の私は心のケアというソフト面の支援について全くの無知だったため、ボランティアは片付けや掃除みたいなハード面の支援をするものだと思い込んでいました

そんな勝手な思い込みがあったため、最初のうちは、もっと困ってる人がいるはずでその方の支援を優先すべきだという先入観が拭いきれず、ボランティアに参加しながらもどこか消化不良な状態が続いていました。

ボランティアとは?を考える

フィリピンでの住居建築ボランティアの様子

モヤモヤの原因に気づいたのは、フィリピンでの住居建築ボランティアを終えて帰国したあとでした。

私が所属していたボランティア団体は、Habitat for Humanity Japanの学生支部でもあり、海外支援としてアジアの国々での住居建築活動も行っていました。
住居建築活動自体はハード面のボランティアですが、渡航前には支援の仕組みやその国の文化について学んだり、ボランティアをテーマにチームでワークショップをしたりします。

ただ、ハード面の支援こそボランティアだと思い込んでいた当時の自分は、ここでもボランティアについてあまり深くは考えず、体を動かした分の満足感だけを持って帰国してしまいました。

仲間からの問いと気付き

おそらく、フィリピン滞在を経験したにも関わらず、ボランティアについて無知なままのほほんとしている自分に対して、危機感を感じたのでしょう。
他の学生支部の事情も知っている一人の仲間が、次から次へと質問を投げかけてきました。

「ボランティアってなんだと思う?」
「フィリピンでの滞在を通して学んだことは?」
「あなたが参加した目的は?」


ほとんどまともに答えられませんでした。
このとき初めて、自分がよく考えもせずに無知なままでボランティアをしていたことに気づきました。

「ボランティアとは何か」「何のためにするのか」
といった本質的な部分を問い直し、かつての自分が定義していた「ボランティア」を白紙に戻しました

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