「これ、おかしいんじゃないの?」と言える環境はありますか

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とみー

人生の半分を海外で過ごし、アメリカ、イギリス、日本の教育で育つ。1年間ネパールの農村部で英語、数学を教えていた。大学院では脳科学を専攻。現在は教育系の企業で高校教育に携わる。 将来は日本だけではなく、世界の教育を良くすることを目指して、日々勉強中。いろんな教育の形を受け入れ、気付きや学びをたくさんの人と共有したいと思います!

以前ゆっきーの学校教育は「情報生産者」を生み出せるか?の記事で、
『日本の学校現場が「当たり前」で溢れていることで、新しい価値を生み出す情報生産者が生まれにくくなっている』
という話がありました。

ゆっきーの記事を読みながら、私が高校生だったときのある出来事を思い出しました。

校則と戦った高校時代

私が通っていた高校は、校則の厳しい学校でした。
髪は絶対に黒、化粧は当然だめ、スカートの丈は膝下、前髪は眉毛を触っていけない、男子は髪が耳に触れてはいけない、女子は髪を結ばなければいけない、眉毛をいじってはいけない、爪は短く、などなど上げきれません。

私の高校では、毎月「身だしなみ検査」があり、全身をチェックされていました。検査に引っかかれば放課後に残って説教を受ける必要がありました。

私の高校時代

私は生まれつき、太くてぼーぼーの眉毛を持っています。

眉毛を綺麗に整えるというのは、純粋に相手に嫌な印象を与えないようにするためには良いのではないかと思っていました。
でも校則では眉毛をいじってはいけませんでした。

眉毛いじってるでしょ。形はすごく綺麗なんだけど、いじってるからアウト

1年生から3年生にかけて、そんなやり取りを毎月の身だしなみ検査で繰り返し、説教を受けていました。それでも「やっぱりぼーぼーの眉毛はどうなのか」と感じ、私は自分の眉毛を整え続けました。

ただ、眉毛チェック担当のA先生が私を問題児として扱い、身だしなみ検査以外とは関係のない授業でも私に不当な発言をすることに全く納得できませんでした。
そこで、3年生の夏に私は「よし、一度はA先生をギャフンと言わせてやる!」と思い、1ヶ月間眉毛をいじらずぼーぼーにしました。
クラスの友達からも「眉毛やばくない?」と言われましたが「A先生に勝つためだから」「なるほど、頑張って」という会話を毎日のようにしていました。

 

検査当日、クラス全員が私の検査に注目していました。
A先生の眉毛チェックの列に並びました。私の番になりました。

はい、中尾さんアウト

私の眉毛を見る間もなく、私の顔を見た瞬間に先生はそう言いました。

「、、、、えっ?」
私だけではなく、注目していたクラスメートもみんな同じ反応でした。
「アウト、次」という言葉だけ言い放ち、それ以上先生は私を見ることもしませんでした。

こんなシチュエーションで、あなたならどうしましたか?

この話の中ではいろんな違和感や疑問があったかと思います。
校則もそうですが、先生の態度、そして私の生徒としての態度。
「当たり前とされていること」に従うことがなぜ大切なのか。
生徒としてこの校則から何を学ぶべきなのか。
そして先生はこの校則を通して生徒に何をどう指導するべきなのか。

私は結局その日の居残り説教には行きませんでした。
だって、校則を守って、眉毛をぼーぼーにして、友達に笑われながら一ヶ月過ごしたんですよ。
私は悪いことはしていないと思っていました

次の日、廊下に立っていた私のところにA先生が近づいてきました。
「中尾さん、なんで昨日放課後指導に残らなかったの?」

だって私は今回校則をしっかり守ったのに、先生は私の顔を見ただけで、眉毛を見ることもせずにアウトと言いましたよね。先生のお気に入りの子はどれだけ細い眉毛にしててもアウトにしませんよね。授業中も私にだけ嫌な発言をしますよね。クラスの子はみんな今回のことはおかしいと思っています。どうして先生は私にだけそんな扱いをするんですか?どうして私は今回アウトだったんですか?どうしてですか?どうしてですか?

私はここまで問いただすと、先生に叫んでいて、悔しさのあまり大泣きしていました。

先生は私の予想外の行動に焦り、廊下で泣き叫んでいた私を女子トイレに引っ張り込みました。周りにいた生徒も何事だとぽかんとしていました。

トイレで2人きりになると、先生は下を向き、黙り込みました。
30秒くらいの沈黙。私にとっては5分くらいに感じました。
先生はいったい今何を考えているのかと思いながら、私はひたすら先生を睨み続けました。そして先生がトイレの床を見つめながらやっと口を開けると、

中尾さんは元気だからそういうことを言ってもいいと思った

とぼそぼそと答えました。
私は、「、、、はい?」としか言えず、拍子抜けし、怒りを通り越して呆れてました。

眉毛をいじってはいけないという校則について、
校則を守るべき理由について、
一度限り行動を変えることが正しいことにならないことについて、
指導をしっかり受けるべきことについてなど、
生徒である私に言えることはたくさんあったかと思います。

社会人になってあの頃の自分を振り返っても、100%自分は悪くなかったとは言えません。

そして、先生はただ謝罪するだけでした。
それ以降の身だしなみ検査では私と目を合わすこともせず、眉毛がどんな状態であっても「はい、中尾さんOK」と言うだけでした。

他にも、スカートの丈に厳しいB先生は、廊下で女子生徒とすれ違う際は常に、生徒の顔を見ずに、ただ目線はスカートの丈にありました
私がB先生に挨拶をしても、目も合わせず、私の挨拶の返事もせずに「スカートの丈を直せ」と注意をしました。
他の生徒はB先生を見るだけで挨拶どころか、廊下を反対方向に走って逃げていきます。

また、受験生の3年生のある日、私は勉強で分からないことがあり職員室にいる先生に質問をしていました。すると教頭先生が私のそばにやってきて

おい、お前そのスリッパの色は3年か?3年にもなってそのスカートの丈か?スカートの丈を上げるんだったら成績を上げろ

と言われました。成績を上げるためにこうやって積極的に質問をしに来ているのになあ、、、と思いつつ私は謝りました。
しかし実際にその時、私のスカートの丈は伸ばせるだけ伸ばしていました。3年生にもなれば成長期もあって、短くなってしまうんですよね(それでも膝までの長さはありましたよ)。私は特に反論もせず、私に教えてくれていた先生は、これ以上スカートの丈を伸ばせないのを見て「まあまあ」と私に言うだけで終わりました。

当たり前とされるルールについてどう考えるか

数年前、大阪の高校生が黒染めを強要されて損害賠償求めたというニュースも話題になりました。
ただメディアでも、「校則の見直し」や「校則をなくす」という議論が多かった気がしました。それも一つかもしれませんが、それはあくまでも手段であって、目的になってはいけないと思います。

「どうしてその決まりがあるのか」を組織の全員が納得のできる理由とともにルールが存在していることが大切です。
誰かが妥協をするのではなく、「将来社会に出ればこんなことが求められるから」などしっかり先生が説明できれば、生徒も納得できると思います。
納得できれば反発せずにルールを守ることもできます。

逆に「なんでこんなことしなければいけないんですか?」という問いに、「それが決まりだから」「当たり前だから」なんて言われたことは、結局「なぜやらなければいけないのか」という疑問がいつまでも解消されず、そのルールに従う気にはなれないですよね。
大人になっても社会のルールにそう感じることもあるかと思います。

みんなが気持ちよく、安心して、生産性良く、納得して生きていくために、社会にはいろんなルールがあります

世の中の「当たり前」についても、その良し悪しではなくて、この当たり前とされていることは、私達が勉強をする・仕事をする・生きていく上でなぜ大切なのか?を自ら問いただし、理由が述べることができるのが大切だと思います。
もし、誰もしっかりとした理由を述べられないのであれば、それは誰のメリットにもならない、無駄なことだと思います。
そういったものにはきっと改善の余地があります。

必ずしもそのルールをなくすだけではないかもしれません。時代に合った言い換えが必要であったり、意味付けができるように少し内容を変えてみたり、ルールに関わる人たちが対話を通して改善することが大切なのではないでしょうか。

学校での校則との向き合い方

最近の学校現場では「批判的思考力」「自ら課題を見つけ出し、解決する力」がこれからの社会で求められると言われています。

身近なことに対し、批判的に考えられるか。それは必ずしも反対意見を述べるのではなく、「これってこのままでいいんだっけ?この状況を良くするためには何ができるんだろう」と考えることでもあります。学校の中でも、身の回りのことに対してそのように疑問を抱き、考える力をつける場はたくさんあります。

そんな環境の中で生徒が「これ、おかしいんじゃないの?」と言える環境はありますか?
「なぜ?どうして?」と言っても理由もなく否定されない環境はありますか?
皆が対等に議論し合える場はありますか?
そんな場のある学校で育つことで、きっと将来その生徒は社会をより良くするために自分ができることを考え、新しい価値を生み出し、この社会を良くしてくれるのではないでしょうか

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