学校教育は「情報生産者」を生み出せるか?

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ゆっきー

1995年生。岩手県出身。大学では小学校英語教育を専攻。大学在学中にネパールで1年間インターンシップを経験。現在は、岩手県の高校で英語教員として日々奮闘中。趣味:筋トレ、動画編集、youtube研究

こんにちは。ゆっきーです。

前回の記事では、「自分の小さな箱から抜け出す方法」をテーマに書きました。

今日は情報化社会に対応するための学校教育のあり方について書いていこうと思います。

学校教育は「情報消費者」の生産工場?

つい先日、高校3年生の記述模試があり、私はその試験監督をしていました。マーク式と違い、記述問題は教科書内容に対する高度な理解と膨大な知識量が求められます。
故に生徒には高度な情報処理力が必要とされる試験です。

実力のある生徒ほど点数が取れますが、では彼らが世の中に役立つものを生み出せるかというとそれはまた別問題です。
なぜなら受験問題で求められているのは情報の処理力や知識量であり、新しく情報を生産することではないからです。二次情報をいかに正確に素早く処理するか。それが受験生の命綱です。

私は現在の学校教育は情報をうまく処理し消費する人材は育ちますが、情報の生産者は生まれにくいと考えています。私がなぜそう考えるか以下に書いていきます。

情報は「ノイズ」によって生み出される

最近では消費できないほどたくさんの情報で溢れています。

そもそも情報とはどうやって生まれるのでしょうか。
情報が生まれるのには「ノイズ」が必要です。ノイズとは私たちが生活していて感じる違和感や疑問、引っかかりのことです。「なんで海外の学校では校則がないのに、うちの学校はこんなに厳しいのだろう」と言った疑問、違和感が情報の原点となります。

では「ノイズ」はどのようにして生じるのでしょうか。
ノイズは当たり前に満ち溢れている世界で思考停止している人には発生しません。また自分の興味・関心の範囲外だと自身の受信網に引っかからず、これもまたノイズは発生しません。

ノイズは自分の当たり前の範囲と、無関心の範囲との間に生じる情報の原石です。ただ、このノイズが情報に変換される前に消えてしまうのも事実です。

なぜ、学校では「ノイズ」が生まれにくいのか?

さて、話を戻します。
なぜ学校では情報生産者が生まれづらいのでしょうか。

情報の生産にはノイズが必要だと述べましたが、学校教育はノイズが生まれにくい環境になっていると感じます。なぜなら学校が「ノイズキャンセリング機能」を搭載しているからです。学校ではノイズが出来るだけ入らないような教育的配慮が行われています。

例えば、勉強に集中させるために大量の課題を生徒に出すことです。生徒は目の前の課題をこなすことで精一杯になり一切のノイズを排除することができます。「休日遊びたくても課題があってそれどころではなかった」という経験を一度はされたことがあると思います。

本来生徒を指導する目的で、良かれと思って行っている学校の規則や教員の行動が、ノイズを除去し、違和感や疑問、引っかかりを言語化させない原因となっているのだとしたら情報化社会に対応しうる教育には程遠いということになります。

ノイズに耳を傾ける勇気を持とう

学校のノイズキャンセリング機能は教員にも影響を及ぼすと考えています。
学校は「当たり前」の積み重ねによって出来上がっているからです。「前年〜だったから今年もやるでしょ」とか「授業中静かにさせるのは教員として当たり前の仕事だ」のように毎日「当たり前」を突きつけられています。先述したように当たり前の世界ではノイズは発生しません。

まず、生徒に教える前に教員がノイズに耳をかたむける勇気を持つことが大切なのではないかと思います。学校内で当たり前だと思っていたことを疑ってみたり、形式的に行われている課題配信や予習の指示を見直してみたり。

なぜ、今回「ノイズ」の話を書いたかというと、私自身ノイズを除去していたからです。
半年以上学校の中にいると以前は疑問に思っていたことが当たり前になり、それを生徒に強いるようになります。これは危険なサインだなと感じ、内省の意を込めて書くことにしました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

↓今回参考にした本はこちら↓
「情報生産者になる」 上野千鶴子 ちくま新書

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