客観ってないというお話

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後藤 智

経営学の研究者。専門はデザインマネジメント。デザインシンキング、エンジニアシンキング、マネジメントシンキング、アートシンキングの違いと使い所を研究している。この観点から学校教育に対する思うことを書いていきます。

以前の私の記事で、アクティブラーニングでは「あるものは絶対にあるんだ!」という考えは邪魔であるという話を書きましたが、今日は、絶対どころか客観というもの自体存在しないという考え方があるというお話をします。
今日もいつもの通り、社会構成主義のお話です。

客観と主観

「客観はない」と言われても、小さな頃からみなさん「客観的に話しなさい」とか、「客観的に物事をみなさい」というようなことを言われて育っていると思うので、戸惑いしかないでしょう。客観の反対は主観ですね。つまり、「客観はない」というこの考え方は、世の中主観しか存在しないということです。

4つの主観

それでは、主観しか存在しないということを説明していきましょう。主観は以下の4つに分けられます。
①内主観
これは普通、世間で考えられる主観のことです。一人一人の頭の中にしかないものですね。

②間主観
これを理解できるかが重要。
間主観は、二人の間で共有された(理解し合えた)主観を意味します。これは、夫婦生活で例えるとわかりやすいと思います。新婚生活が始まり、最初の方は「なんであんなことしてるの?」と思うことばかりです。これはお互いの育ってきた環境が違うため、お互いの常識が違うことから生まれることですね。「あなたは非常識!」なんて言葉よく出ますよね。これ、お互いが思ってるんですね。
しかし、結婚生活が長くなるにつれ、二人の間で阿吽の呼吸的な何も言わなくてもお互いの生活のことを理解し合えるようになります。これは、二人の間で新しい常識が生まれた状態です。この二人の間の常識が、間主観なんです。重要なことは、この間主観はあくまで二人の常識であって、他の家庭からすると「あの夫婦非常識だ!」なんて思われたりするんです。そもそも、新婚当時にお互いを非常識と文句言い合うのは、それぞれの家庭で間主観的に常識が勝手に作られるからです。

③集主観
これは間主観がもっと大きな人数に拡大され、共有される状態です。
目安はコミュニティと呼ばれる集団での状態。これは企業で働く人なら簡単に理解できると思います。集主観的に共有された認識の中には、なんか知らんが謎の社内でしか通用しない常識が存在することが多々あります。中途入社の方に、「この会社、なんでこんなことしてるんですか?」と言われ、それに対してプロパーの社員が「え、これって常識じゃないんですか?」なんて答えてしまうパターンです。
新入社員が上司から「お前はそんな常識も知らんのか!大学で何を学んできたのだ!」なんて怒られること、結構あると思います。その上司はこれを「常識」として捉え、客観的なものとして考えているからなのです。
残念。それは単に、そのコミュニティでの主観の集まりでしかありませんよ。

このように、主観がある程度共有され、自分の手の届く周囲の人間の間でみんなが「そう」と思い込んだ瞬間、その「主観」は、「客観」として認識されるのです。つまり、多くの場合客観的だと思われていることは、この集主観レベルのことであって、本当に客観的なものなんて存在しないということです。

良く考えてみてください。みんなが100%間違いなく同じように解釈することなんてあるわけないと思いませんか。

④超主観
超主観は、国の文化のようなレベルで共有されているものです。日本では常識であること、ここまでくると客観として考えても支障はないですね、昔なら。残念ながら今はグローバル社会です。超主観ですら、日常生活で通用しないこともしばしば。

視野の狭さが客観を作る

結局、自分の世界が狭ければ狭いほど、自分の考えていることが客観的ではないことに気づかなくなるのです。そもそも気づく必要がないですからね。外に出て、初めて自分の客観が所詮、集主観であったことに気づき、多様性の理解につながるのです。
多様性社会において、客観があると思っている人、要するに「あるものは絶対あるんだ!」という人は、教育では辛いですよ。ただ、「あるものは絶対あるんだ!」が大切な場面もあります。例えば、誰も信じてくれなかった新しい発見を生み出すような人はこれぐらいの強い信念がないときっと突破できないでしょう。

「あるものは絶対あるんだ!」の人たちもこの社会には重要です。だって多様性の時代なんですから。社会構成主義は、非常にメタ的な考え方です(メタについてはいつか記事をちゃんと書きます)。客観なんてないと言うからこそ、客観があると言う人も受け入れちゃうんです。
「視野の狭さが客観を作る」なんて言うと、まるでそれが悪いような書きようですが、もし視野が狭く、客観を作っちゃう人がきても、「へぇーそうなんだ。じゃあ、やってみれば」なんていっちゃいます。二人の間で共有する主観が間主観であり、「あるものは絶対あるんだ!」と言う人との間でも間主観は生まれます。
でも、この言説は難しいんです。内主観は間主観によって生まれるなんてアンソニー・ギデンズは言っています(これもまた今度ゆっくり説明しましょう)。

でも、子供の個性を育てるべき教育やデザイナーのような仕事、これからの社会でマネジメントの立場に立って仕事をしたければ、所詮主観でしかないことをしっかり理解しておかなければなりません。そうしないと、生徒や若い社員はヘソ曲げちゃいますよ。

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