同じ制服を着て、集団として同じ行動を取ることが求められるのと同時に、成績になれば一点の違いを比べられ、順位づけされる。
平等主義でありながら、はっきり順位をつけられる、この矛盾。
中学生で日本に帰国して感じたこと
小2から中2までアメリカの学校に通い、中3で日本に帰国してからいろんなことを感じましたが、この矛盾が一番心に引っ掛かり、今でもそれは変わりません。
1点の差によって、一人の生徒はもう一人の生徒よりも優れていると本当に決められるのだろうか。その1点にどこまでの価値があるのだろうか。
中3で日本に帰ってきた自分は、明らかにクラスで一番英語が話せました。
それでも文法を考えずに感覚でテストを解くので、100点満点を取ることはあまりなかったんですね。
テストを返却されると、学年トップの生徒がいつも私の席にやってきて、英語の点数を比べに来ました。
私は97点、彼は98点。
それを見て彼は何も言わず、ただ「ふっ」と笑い、自分の席に戻っていきました。
私はこの経験を今でも忘れられません。
誰がどう見ても、私の方が英語を話せ、それは彼も知っていた事実です。
それでも、この1点の差により彼は私を見下し、私は劣等感を感じました。
日本の学校では私たちに何を学ばせたいのか、そう考えざるを得ませんでした。この1点の差にこだわり、1点を取るために勉強をする生徒は、人生にどんな目的を持って育っていくんだろう。
中3の自分は、その子を見てなんだか可哀想に感じました。
社会で求められる力を学校で育てられているのか
テストの点数が取れる子だけが優秀な生徒でしょうか。
宿題を提出せず、いつも赤点を取っていた子は、誰よりも本を読むことが好きで、作文では彼にしかない独特な表現力を発揮していました。
授業中にいつもノートにリアルな動物の絵を描いていた子は、不真面目だと先生に怒られていました。
勉強はできないけれど、誰よりもクラスメイトのことを考え、気遣い、クラスをまとめてくれる子もいました。
もちろん、どこかの場面ではこの子たちも評価されています。
ただ、評価をしてあげることよりも、この子たちの能力をもっと伸ばしてあげることが必要なのではないでしょうか。
社会に出れば、いろんな力が求められます。社会に出てスキルを身につける、ということもよく聞きますが、幼いころからの優れた能力を見つけ、学校でそれを磨き上げることはできないのでしょうか。
「みんな一緒」に育て上げる教育の中では、優れた能力を身につけることは難しいです。テストで1点でも多く取れるようにと教育している間に、子供たちの特別な能力は芽生えず、永遠に土に埋まっているように感じます。
私は、アメリカの小中学校でいろんなことを経験しました。
小学校のころは「学校で勉強をした」という記憶がありません。
もちろん授業を受け、テストもありましたが、いろんな経験を通して知識を得て、それを多様な場面で自分なりに実践することで、その時の知識や考え方を社会に出てからもしっかり活かせるように学校で練習するのです。またこれについて詳しく書きたいと思います。
テスト1点の価値とは?
私はこの問いに対して答えを出すつもりはありませんが、子供たちが学校で学ぶべきことは何なのか、何のために学ぶのか、を教育改革が行われている今のタイミングで改めて考える必要があるのではないでしょうか。
コメントを残す