今、あなたが使っているパソコンは本当に存在するのですか?

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後藤 智

経営学の研究者。専門はデザインマネジメント。デザインシンキング、エンジニアシンキング、マネジメントシンキング、アートシンキングの違いと使い所を研究している。この観点から学校教育に対する思うことを書いていきます。

今、私はパソコンを使ってこの文章を書いています。読者の方も、パソコンやスマホを使って読んでいただいているでしょう。さて、それでは今私とあなたが使っているパソコンやスマホは、本当にこの世に存在しますか?

存在論と認識論

あるモノが「存在しているのかどうか」、また存在しているのであればその「モノの構成物はなんなのか」、このようなことを考えるのが存在論という学問の一つの領域です。
そして、もしあなたの目の前のモノが存在しているとしたら、「なぜ、あなたはそのモノを認識できるのですか?」、「どうやってあなたはそのモノがあることに気付いたのですか?」というようなことを考えるのが認識論という学問の領域です。

この存在論と認識論レベルの知識の欠如は、教育に大きな影響を与えます。今の日本の多くの教員はこのようなことを考えていると思います。「うまくいった事例を知りたい」、「うまくいった事例を自分の学校でもやりたい」、「うまくいった人の評価軸を自分の学校でも取り入れたい」。これは、どの学校でも絶対にうまくいく普遍的なルールが存在するという前提に立っています。これは存在論レベルで、「誰がなんと言おうと、あるのである!」と考えているのであって、「あるんだから、疑う必要なんてない!」「あるんだから、それに従うしかないのだ!」なんていう考え方にいたります。

「そんなの常識だよ。」とか、「こういうことがあったよ」と誰かからの報告を受けた時に、現場を見てもいないのに「そんなこと絶対ありえない」とか簡単に言ってしまう人は、だいたい「誰がなんと言おうとあるのである!」派の人です。会社でもいますよね、こういう上司。
以前の主体性のブログでも書きましたが、普遍的なルールに、現在の状況を当てはめていこうとする思考は演繹的思考です。

これに対して、こんな考え方があります。

「目の前にあるモノが本当にあるかどうかはわかんないけど、とりあえず自分はあると認識しているし、隣にいる人もあると言っている。だから、あるんだ」。この考え方の重要なことは、「人と人との関係性の中で、『あること』が共有されたから、そこにあるのである。」ということです。これは、絶対的なルールが存在しているなんて誰にもわからないので、人と人の関係性の中で共有される世界を大切にしようという考え方です。このような考え方は、社会構成主義と呼ばれます。この考え方をベースに持っている人は、何よりもまず相手の話を真摯に聞くこと、目の前の現象に真摯に向き合うことを大切にします。こんな上司だと理解しあえそうですね。

アクティブラーニングと存在論・認識論

これを教育で考えるとどういうことか。

教員が「絶対にある!」と思う世界などなくて、教員と生徒の2人の関係性の中で共有された世界が世界であり、その中でしか生徒の見えているものはわからないし、ましてや評価なんてできないということです。

実は、アクティブラーニングの背景にはこの社会構成主義があるのです。教員が一方的に決めた評価軸を持ってアクティブラーニングをすると、大概うまくいきません。生徒は、主体的にならないでしょう。だって、それは教員が一方的に押し付けているんですから。

典型的な失敗例として、教員が「自分で考えてやってみなさい!」と言ったにもかかわらず、いざやり始めると「そのプロセスは違う!」「私はそんなもの求めてない!」的なことを言ってしまうパターンが挙げられます。この失敗は教員が最初から折れることのない評価軸を持っているのに、「評価軸は言わないのがアクティブラーニングだ」なんて考えている人がよく陥ります。そもそも、「世界」ですら教員と生徒の2人の関係性の中で構成されるのだから、評価軸だってこの関係性の中でしか作れないのです。

最後に、言いたいことを短くまとめましょう。本を買ってうまくいった他の人の事例なんか見るのも勉強にはなりますが、その時間を使って生徒との間でしか見えない世界を認識する努力をしてみてはいかがでしょうか。その努力のスタートは存在論です。「普遍的なモノなんてない」。

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