アブダクション思考が欠如した教育と企業の問題

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後藤 智

経営学の研究者。専門はデザインマネジメント。デザインシンキング、エンジニアシンキング、マネジメントシンキング、アートシンキングの違いと使い所を研究している。この観点から学校教育に対する思うことを書いていきます。

今日は、近頃頻繁に見られる「企業が引き起こす問題と教育」に関して、デザインの視点から考えてみようと思います。キーワードは多様化と”アブダクション思考”、そしてビジョンです。

多様化とは?

みなさんご存知のように、現代は多様化の時代です。この記事では、多様化を「物事をみる視点が人によって異なること」として記述していきたいと思います。

視点が人によって異なると、同じ物事を見ていても人によって違うように解釈し、それぞれの人にとっての意味が生まれます。これは物体にライトを当てて映る影のようなものです。ライトを当てる角度(視点)が変わると、影の形(意味)は変わりますよね。これが人によって違って良いというのが現代です。

”正当化”が問われる

みなさんに知って欲しいのが、アンソニー・ギデンズ氏というイギリス人の社会学者が「現代は自分でライフスタイルを選択し、それを正当化しなければならない時代である」と指摘していることです。

昔はライトを当てる角度(視点)は、見本が存在し、その見本に沿って同じように影の形(意味)を作ることが正解でした。自分で角度を選択できるという自由は存在しないものの、その見本に沿ってやっていれば、誰にも怒られないので、自分で自分の行動を正当化する必要がなかったんですね。これって楽ですよね。今でも保守的な地域に行くと、同じような傾向はありますが。その代わり、見本に沿わなかった場合は、排除されてしまうという恐ろしい結果になりますが。

それに対して、現代の日本でも、大人になると(というか、大学に入ると急に)、否応無しに視点を選択せざるを得ないし(強制された自由とでもいいましょうか。「自由の刑に処されている」なんて昔実存主義者が言っていましたよね)、否応無しに正当化せざるを得ないんですよね。

これを簡単な算数で考えてみましょう。

①1+5+8=?
この演繹的思考は答えが一つしかありません。これは物事をみる視点が決められた問題です。

それに対して、アブダクションという思考では以下のような問題になります。

②1+?+?=14
この問題では、答えは無数に存在します。
このような無数の選択肢から、仮説を選択するという行為は、仮説の選択が恣意的です。それゆえに、「なぜあなたはその仮説を選択したのですか?」という質問が可能となります。否応無しに選択を迫られるんです。

これに対して、「私はこの数字が好きだから」というような回答が可能となります。これが自分を正当化するということです。そして、この正当化には明確なロジックが求められます。そりゃそうですよね。無数にある選択肢から選んでいるのですから、明確な理由がないと誰も納得してくれませんよね。①ではこのような質問は必要ありませんし、正当化する必要もありません。

アブダクションとビジョン

デザイナーはこのアブダクション思考を多用します。それゆえに、「なぜこの仮説を選択したのか?」という質問に常に答えられるようなロジックを大切にします。このロジックの代表例がビジョンです。

「現代はこういう社会だから、我々には今こういう生き方が必要なんだ!」というようなビジョンは、アブダクションの仮説選択の正当化として「なんでうちの会社の製品にこんなデザインが必要なんだ?」というような質問に対する答えになります。

日本の教育は、基本的に演繹的思考だと私は思っています。大人側の「前例がないと動けない」的な思考も思いっきり演繹的です。演繹的思考で育つと、正当化能力が育ちません。現代の企業で起こっている様々な問題は、この正当化能力の欠如が要因になっているものも多くあると思っています。

問題が表面化してから、「え、どうする?どうする?」というような展開になるのは、正当化のロジックをあらかじめ持っていないからだと思います。「前例に沿って企画をやってみると、全然違う反応が来た」という場合、演繹的思考のため、正当化のロジックは全く準備されていません。このような場合、批判に対して非常に脆いです。

その一方で、強いビジョンを持った企業や人はどれだけ批判をされても動じません。なぜなら、正当化するだけの強いロジックを持っているので、人を説得できます。そして、そもそも「私はこういうビジョンで動いている。このビジョンに賛同できる人集まれ!」というような動きをします。そのため、批判が起こったところで「あなたは我々とビジョンが違うから、あなたはあなたでが別の方向から社会をよくしてください」となります。

だからこそ、ビジョンには強い社会倫理が求められるのです。社会にとって本当に良いことである以上は、自分たちを正当化して良いのです。つまり、アブダクション思考を教育で用いる場合、倫理教育もセットでなければならないということですね。ちなみに、前回の私の記事(主体性って何?デザインから考える主体性)でも記述しましたが、センスメーキングは完全にアブダクション思考です。

ただし、アブダクションが全てを解決するわけではありません。アブダクションも使い所を間違えると問題を引き起こします。時にアブダクションはご都合主義として機能してしまうという弱点も持ちます。

また、倫理感のないアブダクションは、社会にとって危険な行為を正当化するということにもつながります。重要なことは、演繹的思考、アブダクション、さらに言うと帰納的思考の3つを学び、それぞれの使い所をちゃんと理解することが重要なんだろうと思います。

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