主体性って何?デザインから考える主体性

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後藤 智

経営学の研究者。専門はデザインマネジメント。デザインシンキング、エンジニアシンキング、マネジメントシンキング、アートシンキングの違いと使い所を研究している。この観点から学校教育に対する思うことを書いていきます。

みなさんこんにちは、後藤です。これが初めての投稿です。私は現在、立命館大学の経営学部でデザインマネジメントを教える大学教員です。「イノベーションを起こす人」に求められるパーソナリティ・態度・姿勢・思考をデザインという観点から研究しています。

その立場から、私の投稿では、「イノベーションを起こす人になるためにはどのような教育が必要か」という問いを提起し、みなさんと一緒に考えるきっかけとなれば良いかと思います。とはいえ、研究を必死にやり続けていますが、未だに暗中模索状態です。

今回は、小・中学校の学習要領でも強調される主体性について考えていきたいと思います。

「子どもに主体的に勉強を取り組ませたい」という先生は多いでしょう。

では、主体性ってなんですか?二宮金次郎のように、歩きながらも勉強することでしょうか?
自分から塾に行くことでしょうか?
周囲と話し、意見を積極的に述べることでしょうか?

「デザイナーは、主体的な人たちである」と、一般的に認識されていると思います。「理想とする社会に向けてアウトプットを出す」そんな職業です。

では、デザイン教育において、上記のような実践が行われているのかというと、そうでもありません。デザイナーには他の仕事に比べて、音楽活動やサーフィンなど、仕事以外の趣味に精通した人が多いという特徴があります。

一方で、日常的にあまり話さず、自分の世界に没頭する人もいます。少なくても、小・中学校で語られる勉強に目を輝かせ、手をあげ、意見をいう人という印象ではない人が多いです。

主体性とはなにか?

では、改めて主体性とは何か。デザイン活動における主体性とは、デザイナー自身が社会に対する見方(レンズとでも言いましょうか)を持ち、さらにその見方は周囲とのインタラクションの中で更新され続け、その見方を通して「意味」を問い続けるということだと思います。「この製品にはこういう意味がある」「彼の行動にはこういう意味がある」「この授業にはこういう意味がある」というように、どのようなことに対しても後付けで意味づけを行うということです(これを社会心理学用語でセンス・メーキングと言います)。

意味を問い続けている限り、それは主体的な状態である、と言って良いのではないかと私は考えています。実際に、日常的に向き合う大学生や社会人に対してもそう接しています。

逆に、何に対しても意味を問わない人は主体的ではないと考えています。例えば、上司からどのような命令を受けても意味を疑わず従う人や、授業の意味を何も考えずただ受講する人は主体的ではないということはわかってもらえるでしょう。たとえ、その人たちがよく会話し、意見をよく述べる人であってもです。

一方で、たとえ周囲と話さず、黙っている人でも「この授業にはきっとこういう意味があるはずだ」「この仕事には必ずこういう意味があり、成長につながるはずだ」と頭の中で考えていれば、それは主体的ではないでしょうか。

ただ、このような子どもは大人たちにこう言われます。
「もっと、周りと話しなさい。主体性が欠けていますよ」と。

主体性は内にあるものであり、容易に外から判断できるものではないと思います。このような子供の内面に向き合うことを避け、外から判断された子どもたちの気持ちはどうでしょうか。

外交的と内向的

人間はどうしても、「外向的性格」と「内向的性格」のどちらかによる傾向があります。何が主体的なのかはまだ答えはわかりませんが、ただ今世の中で語られる主体性が、単に「外向的性格に矯正しろ」と言われているように感じる時があります(私が内向的人間だから)。

イノベーションは、内向的人間がそっと心の奥にしまっていることから生まれることもあるということは歴史的に見ても明らかです。主体性は一つの定義で語れるとは思いませんが、多様な子どもたちにとって、それぞれが心地よい主体性を追求していきたいという決心を強く持ち続け、研究を続けていきます。

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