記憶の限り人生を振り返るvol.3 -阪神大震災-

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1985年生。早稲田大学国際教養学部、米国Portland State Universityにて文化人類学専攻。 新卒でベネッセに入社。学校教育コンサルティングに関わる。新しい働き方・学び方創りに関わり、社外の活動としてスポーツ、キャリア教育、地方創生、途上国支援など複数のNPO、NGOの立ち上げに関わる。 世界経済フォーラム(ダボス会議)Global Shapers Communityメンバー。関西学院大学非常勤講師。

久々に、このテーマで書きたいと思います。自分の人生を振り返りたいと思います。前回は、およそ一ヶ月前ですが。「転校」というテーマで書きました。

この「人生を振り返る」シリーズを書こうと思えるときは、比較的時間にゆとりがあって、それ以外のことが一通り落ち着いていて、、、、というときに、よし書こう、と思える感じなんです。今宵は、暑い夏の日に久々に湯船に浸かりましたし。。

やりたいことに向かってひたむきにがむしゃらに、走っていく日々の過ごし方も大切だと思います。一方で、ゆとりを余裕を持っていないと、みえないこともあると思うので、特に今年はそういったゆとりを、意識的に大事にしていきたいなと思います。自分の人生を、じっくりと振り返る、それを自分のバロメータにできるといいかなと。

知らなかった縦揺れの地震

今回は、私が小学校3年生のときに起きた阪神大震災の経験を、少しだけ。こうやって文字で書くのは初めてですし、あまり積極的に話してこなかった経験なので、なんだか不思議な感じです。長くなりそう。。。

幼稚園から小学校4年生まで、神戸の東灘区に住んでいました。東灘で、小学校3年生のとき、1月、寝てたら大きな縦揺れが。

当時、吉川少年はあんまり地震のことも知らなかったんです。ましてや、どーんと縦に突き動かされる揺れは想像もしていなくて、しばらくは夢だと思っていましたし、状況がよくつかめていませんでした。

という地震の記憶もいろいろとあるのですが、、、いまの自分にも影響を与えているかなと思うのは、避難所での生活かもしれません。

最初は、自分が通っていた小学校の体育館や運動場で避難所生活をしていました。理由は全く覚えていないのですが、しばらくしたら、歩いて数時間くらいの別の学校に移動することになりました。人が溢れていたからなのか、支援の食事とか物資の影響なのか、よくわかりません。言われるがままに、移動しました。

そのとき、自分の親もそうですし、友達もそうですし、周りの方々もそうですし、、、なんというか大変そうで、自分のことだけでも精一杯なのに、子どものことや周りのことにも気を使い動いている大人の様子を、なんとなく感じていました。

もともと内気だった吉川少年は、より一層、自分の感情を押し殺すというか、外には表現しなくなったように、なんとなくですがそんな気がしています。弱音を吐いたらいけない、そうしたとしても、誰にも頼ったり甘えたりできない、そんなことも、感じていたんだと思います。

震災の影響と、その後

震災復興、ということで、少しずつもとに戻っていったり、街は変化していったと思います。ただ、なんというか、目には見えない震災の影響は、人の気持ちや心に、少なからず影響を与えるのだと思います。東日本大震災のときも、そうだと思います。

どうしようもない感情を、誰にもはけずに自分の中にためこんでしまうことで、それが長い時間、自分の中に存在してしまうんだと思います。

人はみんな、そういう経験がある

今回は、自分の被災した経験について振り返って書いてみました。苦しかったり不安だったりつらかった経験、そしてそれを人に言いにくかった経験。

これは、震災の経験に限った話ではない、そう思っています。人は誰しも、そういった「痛み」や「言いたかったけど自分の中に抱え、しまいこんだ気持ち」があるのではないでしょうか。

家族のこと、学校の友達のこと、自分のこと、いろんな関係性の中から、自分の中にしまいこんだ自分の気持ちがあるんだと思います。

それを、ある意味認めたくなくて、向き合いたくなくて、強がったり、無理をしたりしてしまうんだと思うんです。

ときが来たときに、そんな自分の気持ちを認め、許し、伝え、受入れられたとき、人はなにかから解放されるのかなと思います。センシティブなことがゆえに、他人に受入れてもらえないのが怖いから、あまり表現することはないと思うのですが、信頼できる人、きいてくれる時間があること、それに向き合える余裕が自分にあること、そんなタイミングがそろったときに、人はもっと優しくなれるのかなと思います。

誰もが持っている、自分の中の自分。
向き合うのが辛い、自分の感情。

それも含めて、自分なんだと、そう思って、いまのありがたき人生を全うしていくことができたら、世界はまた違ってみえるのかもしれません。

じわじわと、一緒に少しずつ。

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